世界中で4千万人が死亡したとされる100年前の「スペイン風邪」。現在の新型コロナとも比較されるパンデミックを起こし、日本の教会でも多くの犠牲者が発生したが、その後のキリスト教史で注目されることは少なかった。当時の教会の対応について、戒能信生氏 (日本基督教団千代田教会牧師)は、歴史研究に取り組む7人と共同で各教団教派、学校の機関紙や指導者の日記などを調査している。9月24日には、日本クリスチャン・アカデミー関東活動センターの連続講座「日本キリスト教史を読む」の番外編として、特別講義「スペイン風邪(1918~20年)の時、この国のキリスト教会はどうしたか」を東京・新宿区の早稲田奉仕園スコットホールで開き、調査概要を報告した。
1918年10月頃から礼拝出席者、伝道集会に参加者が減少という記録が残る。最初の死者の記録は、台湾台北基督教会の河合亀輔牧師の息子健氏。両親から感染し、同年11月17日に死去、翌日にはその姉榮氏も死去した。神戸教会では感染症で亡くなった信徒の葬式が5回(11月21日報告)、京都教会で「永眠者数名」(11月28日報告)など各地の教会で感染死亡者が相次いだ。
キリスト教学校でも18年12月の記録で、北陸女学校は、死者1人、5人の中退、梅光女学院は、生徒185人中126人が感染1人死亡、教師4人感染など大きな影響がみられた。
国内の牧師も20年までに8人の死亡が確認された。「伝道師や30代の若手の牧師の死亡が目立った」と戒能氏は言う。
このように深刻な影響があったスペイン風邪が「忘れられた」理由として、3年後に起きた関東大震災の衝撃、、、、、、

2020年10月11日号掲載記事