ブラジルで人々の優しさに触れ 「試練はこの上ない喜び」だと 元プロサッカー選手の牧師 満山浩之さん

満山浩之さん(藤沢ナザレン教会牧師)は、南米ブラジルと北ヨーロッパ・バルト三国の一つエストニアのプロリーグでプレーをした元プロサッカー選手だ。サッカーが盛んな東京・町田市で生まれ育ち、小学生の頃は市内のクラブチームでサッカーの練習に明け暮れる日々を送る。やがてプロの道を目指すようになり、高校、大学はサッカー強豪チームへ進学。だが、大学生の時、試合中に足首を骨折する大けがを負った。懸命なリハビリで回復はしたものの、日本でプロになる道は諦め、22歳で海外へ。ブラジル、エストニアでは、周囲に実力は認められたものの、公式戦に出られない、度重なる怪我など、その後も様々な試練に出会った。そんな満山さんは引退後、イエスを救い主として信じ、牧師の道を歩み始めた。【中田 朗】

プロサッカー選手時代の満山さん

 

「ミツ、お前日本人なのにサッカーをよく知っているな。日本では、鹿島アントラーズか横浜マリノスでプレーしていたのか?」
ブラジル3部のチームで練習していた時のこと。満山さんのプレーに感心したチームメイトが、そう言った。満山さんはこう答えた。「いや、大学だよ。Jリーグではプレーしていないよ」
するとびっくりしたように、こう言った。「お前、プロじゃないんだ。アマチュアなんだ」。サッカー王国ブラジルのチームメイトが、日本人選手である満山さんの実力を認めた瞬間だった。
もともと、Jリーグでプレーすることを目指していた。だが、大学3年生の時、試合中に足を骨折した。「小さい頃から描いていたプロサッカー選手になる夢を諦めそうになりました。怪我で約1年間サッカーができず、病院のベッドで途方にくれている時期もありましたが、必死でリハビリをし、何とか復帰できました。でも、大学のトップチームで試合に出られなかったら、プロのスカウトは見てくれません。だから私は『日本がだめなら海外へ行こう。海外ならサッカー王国ブラジルへ行こう』と思ったのです」

エストニアで。相手チームの選手と競り合う

ポジションはフォワード(FW)で、前線で攻撃の起点を作るポストプレーが得意だ。今の日本代表選手で言えば大迫勇也選手にタイプが近いという。「相手を背負う場面が多く、ボールを取られないようなプレースタイルでした。ボールを受け、相手を抜き去る前に、振り向きざまのシュートをするのが得意でしたね」
「ブラジルのプレースタイルにも合っていた。監督も気に入ってくれた」とも話す。「ブラジルでは三チームを渡ったが、それぞれのチームでプロ契約を結べました」
だが、ブラジルでは労働ビザが取れず、結局、一度も公式戦には出られなかった。監督やチームメイトから認められたにもかかわらず、公式戦でプレーできないという歯がゆい日々を送った。そんな満山さんを、チームメイトが支えてくれた。「皆とてもやさしく接してくれた。彼らは週一回、あるいは試合の前日に寮の部屋に集まり、聖書を読んで祈って、、、、、

2021年1月3・10日号掲載記事