饒平名長秀氏逝去 「沖縄の神学」を発信

沖縄キリスト教協議会 議長、沖縄バプテスト連盟、神愛バプテスト教会牧師を歴任した、沖縄宣教研究所所長の饒平名長秀 (よへな・ちょうしゅう)氏が1月5日、逝去した。86歳。1934年8月、沖縄県那覇市上泉生まれ(宮古島出身)。著書は『待ちつつ、早めつつ~キリスト道に生きる~』(神愛バプテスト教会)、共著に『鼓動する東アジアのキリスト教』(新教出版)、 『祖先崇拝と福音宣教』(沖縄宣教研究所)、『憲法九条を沖縄アジアから見つめる』(いのちのことば社)。ほか論文多数。
前夜式は1月7日、神愛バプテスト教会で大浜英樹氏(那覇バプテスト教会牧師)が司式、 告別式は8日、那覇葬祭会館南ホールで神谷武宏氏(普天間バプテスト教会牧師)が司式。喪主は妻の饒平名千代子氏。
▽饒平名氏について(神谷氏):「沖縄の神学」という言葉を発信し、講演を行ってきました。饒平名氏の言う「沖縄の神学」とは、「小さき者の神学」ということです。
神は、小さき者、貧しき者、無力な者に注目しておられ、そこにご自身の姿を現しておられます。すなわち、琉球・沖縄の歴史が大国から常に低みにされ、差別された歴史、現状があるように、その沖縄に立つことは、キリストの在り方に類似することであり、大国の在り方が見えてきます。
キリストの宣教は、常にガリラヤにあり、神殿のある中央エルサレムではなく辺境の地ガリラヤでした。ローマの軍事的植民地支配とエルサレム神殿体制の軍と差別による二重の抑圧構造に置かれたガリラヤ。沖縄が米国とヤマト(日本)による二重の抑圧構造があるように、辺境の地とされたガリラヤと沖縄が重なり、「沖縄の神学」から新たなメッセージが生まれています。

右から二人目。2018年9月30日のシンポジウムで