神学/「正義」からの福音理解 クリス・マーシャル著『聖書の正義ーイエスは何と対決したのか』

写真=『聖書の正義ーイエスは何と対決したのか』
クリス・マーシャル著、片野淳彦訳、いのち
のことば社、B6判・128頁、1,430円(税込)

著者はニュージーランドの新約聖書学者。物語批評でマルコ福音書における「信仰」を論じロンドン大学より博士号取得。米国メノナイトの神学校(AMBS)修士課程で平和神学を学び、新約聖書の正義を修復的正義とする視点から刑事司法の再構築を方向づける論文を執筆した(Beyond Retribution: A New Testament Vision for Justice, Crime and Punishment [Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2001])。訳者の片野淳彦氏もAMBSの平和学修士課程で学び、修復的正義の普及に努める。

聖書の福音をどう理解するか|プロテスタントは「義認」に主眼を置いてきたが、近年、「正義」や「平和(シャローム)」を重視する修復的視点が提起されている。このほど日本語訳が出版されたクリス・マーシャル『聖書の正義|イエスは何と対決したのか(The Little Book of Biblical Justice)』の意義をメノナイトの新約聖書学の動向に詳しい河野克也氏に解説してもらった。

正義−聖書が物語る救いの中心メッセージ

マーシャルは、「正義」を聖書の中心的メッセージとして提示する。つまり、聖書的正義=福音ということだ。聖書の中心的なメッセージは、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れるときに恵みによって義とされることだとする宗教改革以来の福音理解から見ると、あるいは本書が扱う「正義」は、社会倫理に関する特定のテーマにすぎず、福音とは別物だと考えるかもしれない。日本語では(そして本書の原書が書かれた英語でも)、個人の神との関係や霊的在り方といった救いに関する用語としては「義」(英語ではrighteousness)が使われ、共同体における公平な分配や裁判といった政治や社会倫理に関する用語としては「正義」(英語ではjustice)が使われることから、二つが別物だという理解(誤解)が広まってしまっている。

しかし聖書では、ヘブライ語でもギリシア語でも、両者は一つの広い概念として表現される(「中心的なテーマ」18〜21頁)。著者が第1章の最後に端的に述べるように、聖書が私たちに告げる「正義」は、「何よりもまず聖書に物語られている、この世を創造し、持続させ、贖う神の働き」であり、それは天地創造から終末における新しい天と新しい地の到来に及ぶ救い全体ということになる。したがって、本書は聖書の「中心的なテーマ」、つまり「福音」を扱うものだ。

創造のシャロームを修復したイエス

さて、本書は四つの章により構成される。1 正義とは何か、2 聖書の世界観における正義、3 聖書的正義の輪郭、4 イエスと正義、、、、、、

(この後、各章を概観し、伝統的な贖罪論である「代理的刑罰論」を検討します。2021年3月21日号掲載記事