岩手で10年目の3・11集会を開催 “結び目”これから生かせる

近藤さん(上)。10年を振り返る動画が3・11いわて教会ネットワークホームページから視聴できる

3・11いわて教会ネットワークによる3・11集会は3月11日にオンラインで開催され、国内外10以上の地域から250人以上が参加した。「主はどのように私たちを導き、どこへ導こうとされているか」をテーマに震災後各段階で支援にかかわってきた人たちが声を寄せた。【高橋良知】

 

初期の支援者から北海道のホクミン(北海道クリスチャン宣教ネットワーク)の三橋恵理哉さん(単立・札幌キリスト福音館牧師)と、千葉県のユナイテッドプロジェクトの小西辰則さん(聖契教団IBF教会員)が語った。


三橋さんは支援活動において心掛けたこととして「布教活動ではない」「お互い様の感覚」を挙げた。「教会名、教団名は言わず、北海道から来て、共にこの時にかかわる者たちであるという感覚を大事にした」と話す。
先遣隊として岩手県沿岸を訪問した時の出会いやガソリンを入手した思い出を語り、「大きな震災ではあったが、神様の御手に守られていることを感じて活動を始められた。その後も日本の教会にとって大事なことを教えられた」と感謝した。


小西さんは、宣教師や青年たちの「何かせずにはいられない」という祈りの中で、「共同体と責任」を大切にして働きが始まったことを述べた。長期支援となる中で、「人々の心の隙間は物資で埋まらない。小さな働きでも、イエスの御手に置くことで大きなことが起こる」と振り返った。「長期スタッフとして岩手に派遣した永田道生さんが、地域の方々と信頼関係を築き、私たちも現地の方々と深いかかわりができた」と語った。


永田さん(ブリッジスフォーピース現地メディアディレクター)も現在滞在中のイスラエルから「今も教会を通して、主の働きが続いていることが慰め。主は教会を通してご自身の栄光を現す」と期待の声を寄せた。


ホクミンから派遣された松井博子さん(札幌キリスト福音館教会員)は、「ある浸水した住宅の泥かきが早く終わってよかったと思っていたが、その家の人の家族の思い出を知り、意識が変わった」という経験を紹介した。「支援者が自分の思い、ペースで活動しちゃいけないと思わされた」と話す。「超教派の働きで視野が広がった」とも語った。


ジェント・マイカさん(JECA・つがる福音キリスト教会牧師)は仮設住宅で、大工仕事を通して、様々な人たちと接点を持てたこと、現在それぞれの地で教会が新たに建てられていることに感謝した。


支援チームを送り続けるシンガポール英語長老教会日本宣教のスーザン・エン長老は「震災から1、2年が過ぎたころ、被災地の皆さんが『私たちは忘れられるのでは』と不安がることがあった。『神様は決して皆さんのことを忘れない』と伝えた」と体験を語った。「皆さんの痛みがすぐになくなることを願うが、癒やしはゆっくりと進むことを知っている。私たちの働きはプロジェクトではなく、人間関係構築のプロセス。コロナ禍が終息したら、日本に行きたい。イエスの福音がこれからも宣べ伝えられ、多くの方がイエスを知ることを願います」


ハープ奏者のキャサリン・ポーターさん(WEC宣教師)は、被災地支援で二つの無力さを感じた。「最初は筋肉の無力さ。それでも皆さんに寄り添って、救われてほしいという思い。2012年に岩手に移住しました」。もう一つは、人を救えないという無力さ。「苦しさだけを見るとやっていけない。しかしイエス様の十字架を見るときに喜びをもってやっていける。ヨブは祝福されたから元気になったのではない。苦しみの中で変えられた。私たちもどんな環境の中でも神様から新しい力を得る」と励まし、ハープ演奏をした。

岩手沿岸に従事する各スタッフからの報告があった。岩泉町で北三陸キリスト教会を開拓しているダーン・バークナーさんは、同町を中心に四つの町の宣教を展望する。 22年の3月から実践的な学びを重視する地方教会開拓訓練センターを設ける予定だ。①日本の世俗的、宗教的な言葉、②地方教会開拓、③開拓教会での実践、④教会未開拓地域のツアーなどの学びを計画している。


宮古市の岩塚和男さん(単立・宮古コミュニティチャーチ牧師)は「10年は一つの区切りだとしても、これからの人生は長い。かかわり続ける責任がある」と述べた。阪神淡路大震災で救援活動をした精神科医の中井久夫さんの「その場にいてくれること」、震災時大阪大学総長だった鷲田清一さん(せんだいメディアテーク館長)の「見守り続けること」を引用し、「会うことはできなくても、思いを届け続けることが励ましになる」と話した。


宮古めぐみ教会を開拓するデイビッド・ロビソンさん(JEMS宣教師)は、18年から従事しているが、それ以前に支援活動をしていた人々が築いたつながりに感謝する。毎月2か所で「お茶っこ」、英語プログラムなどを実施。「宮古市のクリスチャンがイエスの愛で成長するように。宮古市のすべてにイエスの愛が証しされるように」と願った。


山田町の李世楽(イ・セナク)さん(国際SRND宣教団宣教師)は地域のコミュニティー支援「いっぽいっぽ山田」から、JECA・三陸のぞみキリスト教会の開拓につながった経緯を述べた。コロナ禍がないときはコミュニティーセンターを利用し、主日礼拝を実施。英会話、お茶っこ、個人訪問などの活動があり、信仰告白した人もいる。「山田町の人口約1%がクリスチャンになるように。信仰告白をした人も周囲との関係で仏壇を拝むことをやめられなかったり、教会に行っていることを周りに言えなかったりする。唯一の神の正しい理解をもてるように」と課題を挙げ、日本人のスタッフや宣教師の協力を求めた。


釜石市の小宮剣さん(ALL NATIONS)は18年から従事。「まだまだ学びの時期。分からないことはたくさんある」。市の国際交流員となり、かかわりの中で、福音を話す機会もある。日本国際スポーツ・パートナーシップ(JiSPと協力して、スポーツ伝道も模索している。


JECAのいっぽいっぽ釜石の働きなどに従事してきた高橋和義さんは退任後、被災者とのつながりを評価され、釜石市の社会福祉協議会で働く。復興公営住宅の自治会形成などコミュニティー支援に従事してきた。「破れたものを再生していくということは、イエスの福音の働きにふさわしい。包括的福音宣教のささやかな実践として取り組んでいる。人々の必要に応えることで信頼関係を通して福音を伝えたい」と述べた。

日曜日は、牧師が不在の教会などを中心に説教奉仕をする。地元の人向けに隔週で聖書を読む会(土曜会)を実施したが、4月からは毎週実施する。妻の芳江さんは地域の子どもたちに英語を教える。昨年、岩手日報の随筆賞を受賞し、文筆の賜物を生かして被災した人の代弁者として世界、社会に発信したいと考えている。


大船渡市の齋藤満さんは、日本同盟基督教団牧師としてグレイスハウス教会を開拓する。大船渡市を中心とした気仙地域での宣教を展望している。「復興公営住宅で会う人たちが言うのは『忘れられたくない』ということ。これまで築かれた心を分かち合う関係を、10年で切られたくない。町がきれいになったから教会の役割は終わりとなると、伝道が難しかったかつての状態に戻ってしまう」と危惧した。

「衣食住の心配がなくなってから、ようやく福音に心が向く。今こそ教会ができることを確認したい。広大な地域なので、手を取り合って少子高齢化にあえぐ地域にまい進したい。コロナ禍が収まったら、ぜひ現地に来てほしい。むしろこれから宣教師に来てほしい。効率を考えるならば、他の場所のほうがいいかもしれない。しかし、今、私たちが引いてしまったら人々が福音を聞けなくなる。震災10年は、それぞれの決断が新たに与えられる時となっていきたい」と求めた。

最後に、同ネットワーク代表の近藤愛哉さん(保守バプ・盛岡聖書バプテスト教会牧師)は「多くの方々の話から浮かび上がる言葉は“教会”だった。教会を通して神様がどれだけ多くの結びつきをもたらしたか。様々な顔触れの共通項はキリストしかない。共にキリストの負い目を主から与えられる。与えられた結び目の豊かさを覚えながら、10年で一区切りではなく、これからも委ねられた福音を共に分かち合っていきたい」と勧めた。