「東北ヘルプ10周年 感謝と祈りの会」開催 「支援」終わっても「関係」続く

2011年3月18日最初の会合

仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ吉田隆代表、川上直哉事務局長)は、2011年の震災直後の3月18日、仙台市周辺地域の牧師らによって設立され、この10年にわたり、被災地への直接支援、支援団体や教会のネットワークの後方支援を行ってきた。設立10年を迎えた同日に「東北ヘルプ10周年 感謝と祈りの会」をオンラインで開催。この10年を振り返るとともに参加者がその思いを分かち合った。【髙橋昌彦】
§   §
最初にマルコ1章35〜39節のみ言葉が分かち合われたのち、川上氏が今まで発行され続けてきた「ニュースレター」を示しながらその活動を振り返った。ニュースレターの数はこの3月発行の最新号まで、10年間で25号に及ぶ。設立当日の夜間の会議風景の写真からは、当時の緊迫感が伝わってくる。その年の9月には事務局を法人化し一般財団法人「東北ディアコニア」として、献金を受け付け、働きを進めてきた。初年度寄せられた献金は1億2千万円、2年目は1億6千万円。それらを用いた働きは、外国人被災者支援、仮設住宅支援、食品放射能測定、心のケア、保養、津波被災地復興、古文書保存、支援団体間の連絡調整など多岐にわたり、規模を縮小しながらも現在も継続している。

振り返りの中で印象的だった言葉を二つ。「お母さんは正しい」。子どもたちのことを最も考え、責任を取るのは、母親であり、父親。被災地域に、また放射能汚染地域に住み続けるのか離れるのか、また将来戻るのか。いずれの判断であれ、その決断をした人を支援していく。「関係が支援の本体」。支援から関係を抜いてしまうと何も残らない。支援は終わっても関係は残るのであり、その関係が支援の実り。支援は終わっても、とことんこの人たちと付き合う。「神様が出会わせた隣人とはそういうこと」

「派遣元は神」ぶれず

川上氏は最後に「働きのポリシーは10年間変わっていない。派遣元は神様、十字架であり、そこから派遣されているということは、ぶれていない。関係者は会議がいかに大事かを学んだ。そこでは、皆がまず許していたわってくれ、そして調整ができた。ぶれていないと、できたこととできなかったことが見え、すべきでなかったことも分かり、神様に感謝のしようがある。ニュースレターを見ても、1号と最新号は自分でも同じ感覚である」と結んだ。

(この後、参加者が思いを分かち合い、代表の吉田氏が挨拶した。2021年4月4日号掲載記事