【いのちのことば社物語6】伝道団体とは何ものか? 教会とパラチャーチ論議の相克 統合された福音宣教観を模索して
伝道団体とは何ものか? 教会とパラチャーチ論議の相克 統合された福音宣教観を模索して
聖書信仰・福音派であることと並び、いのちのことば社のもう一つのアイデンティティーは「伝道団体」であるということだ。
書籍や雑誌、新聞を出版販売するキリスト教出版社としての顔とともに、その目的が福音宣教であることは創立以来変わらない存立の土台である。
戦後に活動を開始した超教派の伝道団体は長い間、自らを「パラチャーチ」と呼んできた。これは、それら伝道団体の多くが米国から進出してきたことに起因すると見られる。
基本的に教派にしっかり根差したキリスト教世界が築かれてきたヨーロッパと違い、伝統的な教会制度から逃れてきた自由教会の影響が強い北米では、宣教のビジョンを与えられた個人やグループによって様々な分野で教会とは別個に同志的な伝道団体が次々とスタートを切った。それらを称するParachurchという言葉は、教会の外に教会と並行してある存在というニュアンスを含んでいる。
パラチャーチは教会組織の中にあるわけではないので、教会(教団・教派)の機関決定や方針に縛(しば)られず、自らのビジョンに従い自由闊達(かったつ)に計画を立てて活動を展開できる。そのため一教会や一教団ではできないような専門分野での伝道が飛躍的に展開されていくというメリットがある。
だが一方で、キリストによる制定という聖書に基盤を持つ教会に対し、リーダー個人のビジョンやパッション(情熱)に依拠するパラチャーチは、神の求める福音の宣教に対して誰がどのように責任を負うのかという点が明確になりにくい。そのため、自分たちが「示された」計画の達成のために、場合によっては教会を超えて、あるいは無視して独善的に活動をしているのではないかという批判がつきまとってきた。
多くの伝道団体が「教会に仕える」と言いつつ、実際には必ずしも教会の求める範囲にとどまらず、自分たち独自の事業や計画を遂行してきた。それによって教会は様々な伝道のリソースを手にすることができたという利点もある。
しかし一方で、宣教の主体は教会であるべきという議論が1980年代の福音派で盛んになされるようになった面もある。日本福音同盟(JEA)が米国と個人的に太いパイプを持つ伝道団体関係者によって主導されてきたあり方を改め、86年に教会・教団・教派を主体とした組織へと再編したのは、その一つの表れである。
また90年代には、パラチャーチの中には自分たちのアジェンダを遂行するために教会に協力や献金を求めて教会を利用している団体もある、と批判する論説がクリスチャン新聞に掲載され、伝道団体関係者が反発したこともあった。しかし、それを契機に伝道団体連絡協議会が「パラチャーチとは何か」「伝道団体はどうあるべきか」をテーマに研修会を開くなど、議論を深めることにもなった。
そのような伝道団体の自己検証から、「パラチャーチ」という言葉が教会の外に教会と並行してある別の存在というイメージにつながるので、むしろ大きな意味の公同の教会の内にあって、個々の教会では手が及ばない専門分野の働きを教会の間で教会と共に担っていくという意味で「インターチャーチ」と呼ぶべきだという提言もなされた。
こうした伝道団体自身が教会との関係を再確認する動きは国際的にもなされていたことが、クリスチャン新聞の報道で明らかにされた。97年に南アフリカで開催された世界宣教会議(GCOWE)で、宣教団体OMの創設者である著名な宣教指導者ジョージ・バウワー氏が「これまで私は、教会の言うとおりになどしていたら伝道は進まないと思ってきた。だが、聖書は教会こそが伝道の主体であると教えている。教会を軽視してきたことを悔い改める」と表明したのだ。
いのちのことば社
創業者の自己認識
そうした中で2003年にリーダーシップを日本人の多胡元喜にバトンタッチするにあたり、創業時代から代表を務めてきたケネス・マクビーティが、ある社内研修で「自分はこれまでいのちのことば社をパラチャーチと考えたことは一度もない」と語った。伝道団体=パラチャーチと思っていた職員たちにとって驚きの発言だった。発言の背景はこうだ。
いのちのことば社は宣教団体TEAMの文書伝道委員会の下で始まり、リーダー交代の時点までTEAMの法人傘下に置かれてきた。TEAMはいのちのことば社のほかにも太平洋放送協会(PBA)を立ち上げ、放送伝道の分野も開拓したが、多くの宣教師たちは全国で開拓伝道をし、教会を設立して日本同盟基督教団や日本福音キリスト教会連合の教会となっている。
TEAMは北欧敬虔主義の系譜であるスカンジナビアン・アライアンス・ミッションの創設者フレデリック・フランソン(1852〜1908)の流れを汲む。北欧敬虔主義は、国教会とは別に自由に宣教師を世界各地へ派遣する超教派の任意団体を形成し、その実は欧州や北米に拠点を置く多くの教団・教派とその教会を生み出した。それと同時に、文書伝道、放送伝道など福音を伝えるためにあらゆる手段を用いることをためらわなかった。
若き日のマクビーティはTEAMの宣教師として来日し、当初教会開拓に携わった後に、文書伝道委員会の責任者に指名されいのちのことば社を創業した。彼の中では初めから、教会の建て上げと文書による福音伝道の両者が同一線上にあったことがうかがえる。
毎週火曜、土曜に公開
全8回一覧→ 70周年記念「いのちのことば社物語」全8回を再掲載
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1950年に創業した、文書伝道グループいのちのことば社は、昨年70周年を迎えました。コロナ禍と重なり、公けの70周年記念会などは延期となりましたが、クリスチャン新聞では、昨年8回にわたり、黎明期から現在までの歩みを振り返る「いのちのことば社物語」を掲載しました。
それは、一つの文書伝道団体の歩みではありますが、書籍、雑誌、グッズ、事業の変遷は戦後の聖書信仰を中心とした教会の歩みの一端をかいま見させるものとなります。
今回改めて、オンラインで8回の連載を掲載します。