4月11日号紙面:ミャンマーに心からの祈り、行動を 現地報告
ミャンマー現地邦人からの報告 心からの祈り、そして、行動を
抗議運動が長期化し、国軍による市民殺傷も相次ぐミャンマー(2面に関連記事)。混迷の中、受難週を迎えることになった。現地滞在中の日本人がレポートする。
クーデターが起きた2月1日から、すでに2か月が経ちました。少しでも良い方に向かっていれば心も休まりますが、事態は悪くなる一方です。
最初は非暴力で平和的に行われていた抗議デモも、今では国軍・警察による一方的な発砲や暴力によって、多数の死傷者を出しています。その殺害方法も、想像を絶するほど残虐なもので、それが毎日、ミャンマー全国で起こっています。
写真=国軍(上)と市民のデモ。2月9日。3月以降大規模デモ開催は困難。
いったい国軍・警察は、この国をどうしたいのか…。アウンサンスーチー国家顧問によるリーダーシップの下、本格的な民主国家を目指し、経済も発展を続けていたミャンマーを、一気に破滅の道へと導いているのは、紛れもなく国軍であります。ミャンマーの民間メディア、市民が「国軍=テロリスト」と言うように、そう当てはめれば、みなさんも理解しやすいように思います。
さて、私が今ミャンマー、ヤンゴンにいるのは偶然であり、また必然的でもあります。妻が中国・瀋陽で仕事をしており、帰る家はそこになりますが、もともと仕事の都合で海外を渡り歩くことが多かったところ、Covid-19の問題で国境閉鎖が相次ぎ、自宅に戻ることができなくなったのです。
そこで、一時滞在先に考えたのがミャンマーでした。30年近く前からよく通っていた国ですし、友人もたくさんいるので良いだろうと思い、去年の3月20日、空席ばかりの飛行機でヤンゴンに到着。その数日後、ここも国境閉鎖となりました。
私はテレビ番組や映画の制作をしており、昨年5月にもインドネシアで撮影の予定があり、準備をしていましたが、プロジェクトはすべてストップ。仕事が無くなることについては心配がなく、むしろ忙しい日々から解放され、自分の時間が取れると思い、気持ちはポジティブでした。
Covid-19の関係で、派手に動くことはできませんが、ミャンマーに来たなら時間のあるうちに美しい風景や人々の笑顔を撮影したいと思いました。そして、来たくても来れない方々に見せようと、インターネットでのライブ放送を始めました。毎日街を歩くことによって新しい発見も多くあり、またミャンマー語のブラッシュアップにもなりました。それから、毎日放送をしていたので、下手な自分のしゃべりの訓練、向上にもなりました。
予想もしなかった、たくさんの恵み…。しかし、年が明けても相変わらず中国の自宅には帰ることができません。その頃、ミャンマーはCovid-19の患者も減少傾向にあり、滞在延長もそろそろ認められず、ミャンマーを離れなければならないかと思っていた時にクーデターが起こったわけです。
ずっと続けていたインターネット放送に加え、新たにミャンマーの実情を多くの人に知ってもらうための情報サイトを立ち上げました。あまりにも偏った情報ばかりが日本に伝わっており、人々の反応も鈍かったからです。また、情報が少なければ「大したことない」と思われてしまいます。生の情報をできるだけ正確に発信し、メディアをはじめ多くの方々に正しい情報を届け、それが日本政府をも動かすまでになってほしいと考えたわけです。
先に自分が「ヤンゴンにいるのは必然的でもある」と述べましたが、情報を発信できる「プロ」がとても少なく、外国から新たにジャーナリストが入るのも極めて困難である中、その「プロ」であり、かつ古くからミャンマーのことを知り、人々と付き合ってきた自分こそが動くべきなのだと思いました。そして、昨年から続けていたインターネット放送も、実は今、この時のために与えられた神様の計画だったのではないかと思っています。
さて、情報を受け取ったみなさんは、「遠く離れていては何もできない」と思うかもしれません。しかし、私たちクリスチャンには少なくとも祈ることができます。信仰を持っていない人にとって、「祈り」の対象は人間かもしれませんが、私たちは神様の御心が行われるように祈るのです。これからどのようなことが起きるのか、すべては神様がご存知であり、たとえつらい経験をしたとしても、すべてを益にしてくださいます。
写真=抗議する市民。2月14日
§ §
この原稿を書いている今、受難週で、これから迎える復活の日を祈念する時でもあります。
「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』」(ルカ23章34節前半、新共同訳以下同)
ミャンマー情勢に重ねるならば、私たちの祈りは、テロリストである国軍をも呪うものであってはいけないでしょう。すべては神様に委ねることです。
そして、祈った後に動かなければいけません。
「もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、『安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい』と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。」(ヤコブ2章15~17節)
本当に心から祈るならば、行動を起こすことも大切です。今、世界はインターネットでつながっています。例えば今、起こっているミャンマーの様々な情報を、まだ知らない人たちに伝えることは、誰にでもできることでしょう。また、心身共に疲労困ぱいの状態にあるミャンマーの市民のみなさんへ、日本から励ましの声を届けるならば、それは彼らにとって大きな力となることでしょう。メッセージビデオを撮影したり、絵を描いたり、歌を歌ったり、自分に与えられた賜物で、応援のメッセージを届けることもできるのではないでしょうか。
今、ミャンマーの市民のみなさんは、死と隣り合わせに生きています。抗議の声を上げれば拘束され、死に至るリスクをも抱えています。しかし、恐怖の中で少しも声が出せなくなった時、暗黒の時代が始まります。そうなる前に、祈りと行動が必要なのです。(レポート・石谷崇史=音楽ドキュメンタリー作家)
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