不条理を超える永遠がある 私の3.11 ~10年目の証し第二部 震災で主に出会った④


つづき)昨年六月に父が亡くなった後、「私にとって本当の救いのための試練が用意されていた」と冨澤利男さん(鍼灸院・接骨院院長、福島県南相馬市)は言う。それは遺言の問題だった。冨澤さんが30年以上父の実家に設けていた陶芸の作業場について、何の言及もなかったのだ。「ここは、私の人生そのもの、生きてきた証しがある場所。父はそこを残してくれなかったのか。和解ができていなかったのか」。抑えきれない感情に悩み、毎日祈り続けた。「主よ、 聖霊で満たしてください。私を救ってください」

転機は12月のアドベント礼拝だった。キリストの十字架について聞き、「私は、人のために命を捨てることができるだろうか。そんなことができるはずがない」と思った。「人はたとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか」(マタイ16章26節)が心に響いた。「物欲、執着心からの解放は“死”の恐れからも解放される大きな救いであり希望。今回のことを通して実感として少しですが感じることができました」

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父母の問題と向き合っていた2017年、一つの出会いがあった。それは一羽のスズメのヒナだった。目も開かず衰弱している様子だったがエサを与えると少しずつ食べ、日に日に元気になった。右目の眼球はなく、左目の上には、泥のかたまりがへばりついていた。右目をかゆがって爪で引っかくこともあった。ある時は、猫に襲われ、殺されかかった。スズメと暮らして、人間と神の関係を思った。「人間はいつも危険な場面に隣り合わせでいることに気がつかないでいる。しかし、神様は共にいてくださっている」

震災後、毎年南相馬市で芸術交流の展覧会開催をし続けてきた、滋賀県在住の日本画家鈴木靖将さんに、スズメの絵画を描いてほしいと思って見せた。鈴木さんは新実南吉の『ごんぎつね』など数々の絵本を制作していた。スズメの名は『レ・ミゼラブル』に登場する孤児にちなんでコゼットと名付けた。展覧会でコゼットは人々の肩に止まったり、冨澤さんのピアノやオカリナに合わせてさえずっていた。人々を励ますコゼットの姿を見た鈴木さんから後日、「コゼットを絵本にしたい。福島の震災と怒り、コゼットとの日常を書いて送ってくれ」と連絡があった。

―震災は人々に悲しみ苦しみ、そして家族の絆までも奪ってしまった。それは、人々を絶望に追いやり自死する人、賠償金によって心まで汚染されてしまった人々も数知れない。本当に闇に覆われてしまった。しかし、人間本来の良心を神が与えてくれた。良心ある方々の支援があり、繋がった出会いがあった…。そんな思いを込めて19年に完成したのが『すずめのコゼット ふくしまから』(新樹社)だ。


20年コゼットは八つの卵を産んだ。通常のスズメの寿命1~2年を超えて、今も冨澤さんの懐にコゼットはいる。「悲しいとき、つらいとき、本当に癒された。コゼットと私、私と神様、神様とコゼット、の関係を実感する体験でした」

滋賀県の三橋節子美術館で開かれている絵本原画展第2シリーズ(4月25日まで)で、『すずめのコゼット』が展示されている。17日には冨澤さんは朗読に参加する予定だ。

40年前にさかのぼる友人との関係の亀裂が冨澤さんにとって課題になっていたが、ここで絵本が役立った。19年10月、その友人が難病で入院していることを知った。一度目の面会は苦痛だった。3週間祈り続け、聖霊の満たしを確信して友人と再び向き合った。そこで彼に見せたのが『すずめのコゼット』だった。「彼は目で追い、うれしそうに見ていた。もう言葉はいらなかった。私の心は平安になった。救われた。大きな課題を乗り越えさせていただいた」と神に感謝した。年が明け1月に友人は亡くなった。
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今までの人生、そして震災を通してイエス・キリストと出会った10年を振り返って、冨澤さんはこう話す。「震災の悲惨な状況を見たとき神はおられるのか? と、叫びたかった。その答えは今も分からない。しかし、キリストは全世界の誰よりも不条理な死を受け入れられた。私たちは地上の不条理にすべて納得して生きてゆくことはできないと思う。しかし、地上の生活がすべてではない。永遠の世界がある。キリストと共に歩むならば、試練さえも益と変えられることを知った。なんという希望でしょう」(第二部終わり。次回から第三部)【高橋良知】