スラム街でこそ聖書は物語る 『小説「聖書」』作者 ウォルター・ワンゲリンさん

写真=ワンゲリンさん

聖書全体に忠実ながら、大胆な物語構成、生き生きとした人間描写で書かれた『小説「聖書」』シリーズ(徳間書店)は日本でベストセラーとなった。作者はアメリカで4代つづく牧師の家庭に育ったウォルター・ワンゲリンさんだ。その執筆活動の背後には、自身の信仰の体験と多様な人々との出会いがあった。『過去から永遠へ ワンゲリン自伝』(いのちのことば社)からその歩みの一端を見てみよう。【高橋良知】

「言葉だけの信仰」から
人生導く羊飼いとの出会い

古代社会の文化を背景にする『聖書』は、初めて読む人にとって読みやすいとは限らない。カタカナの人名が長々と続き、読むのをやめてしまった人もいるかもしれない。だからこそ、古来から絵画や劇、物語、説教集などが求められてきたのだろう。『小説「聖書」』は大胆に物語の展開を構想し、人々の生活背景や心情を描写しつつ、聖書の言葉を印象的に引用し、聖書と現代に生きる私たちの橋渡しとなっている。

子どものころからストーリーテラーだった。小学生のころには創作物語で賞をとったが、朗読をした時には周囲から心配された。物語の内容が事実と思われてしまったからだ。
家庭と教会ではキリスト教の戒律や信条を学んでいた。だがその時の自分の信仰が「真実ではない」と思ったのは大学生の時だった。

「言葉だけの信仰だった。生命のないものだった」と気づいたのだ。
空虚感、孤独感がしばらく続いた。親元から離れた教会はなじめず、自分の教会との違いに目が行きいらだった。実家に帰っても親は忙しく、組織の問題など、子ども時代に目に入らなかったところに違和感を感じた。作家と教師を目指し励んでいた学びも手につかなくなり、教授に授業レポートの提出の保留を申し出たが断られた。人生の先行きの扉が閉じられ、地獄を感じた。
その時目に入ったのは牧場の羊たちの姿だった。びくびくして、主体性がなく、軽率で、弱い…そんな羊の姿にいらだった。ところが農夫が音で合図すると羊たちが一斉に向きを変えた。

「羊になりたい」

人生を導く羊飼いのイエス・キリストを求める祈りが生まれた瞬間だった。
しばらくは作家活動と共に、英文学博士課程に在籍しつつ、大学で教鞭(きょうべん)もとっていた。所属していた教会では、牧師よりも神学に詳しかったため、アドバイスを求められた。そのようなかかわりの中で、牧師から「牧師になるべきだ」と勧められた。しかし拒否した。作家が自分の道だと思っていたからだ。ところがある日、聖書を読む中で、聖霊の促しを感じ、「『私の道』ではなく『神の道』に導かれるべきではないか」と将来を神に委ね、神学校に入学した。

過去から永遠へ ワンゲリン自伝
いのちのことば社

貧困、差別の中の黒人教会
イエスの愛示す使命を確認

そのころ神学校では聖書解釈をめぐって内紛が起きた。何人もの教授が辞職に追い込まれ、何人かの神学生も参加し、新たな神学校が設立された。この問題は教団全体にも広がり、別の教団グループが独立する事態にもなった。ワンゲリンさんは新しい神学校で学ぶことにした。ただこのことが所属教会との別れのきっかけになった。

神学校で学ぶころ、無牧になったスラム街の黒人教会から支援を求められた。多様な人々が暮らすアメリカだが、黒人など人種への差別は根強い。これは最近でも「ブラック・ライブズ・マター」として、大きな民主運動になるほどだ。

ワンゲリンさんが牧師に就任した1970年代も差別は色濃かった。黒人の教会員に食事をおごってもらったが、レストランのウェイターはワンゲリンさんにチップを求めるということもあった。逆に近隣の黒人牧師らから警戒されるということもあった。スラム街では病気や貧困にも直面し、「恵みの働き」という救援活動を始めた。

神学校の内紛の影響が、黒人教会にも影響した。教団代表者らの差別的な姿勢に信徒らも反感をもち、最終的に教会は教団を離脱した。

あるイースターに気づいたのは物語の力だった。「彼らはニュースを読もうとはしない。しかし自分が経験したことは覚えている。そしてこれこそが物語の力なのだ。上手な語りは、彼ら自身が物語の中の登場人物であるかのように、聴衆を話しの中に招き入れる」と実感した。作家ワンゲリンの賜物が生かされた。

教会の聖歌隊はゴスペル・ソングが好評で、演奏旅行を計画した。そこには「白人の教会に遣われされる黒人の大使」となるという使命感もあった。

だがある教会で差別的な対応に直面した。怒りに震えたが、聖歌隊メンバーは「落ち着いて。乗り切れる」と言った。数々の人種差別を乗り越えてきた人々の言葉だった。

曲が進み、最後の歌で聖歌隊は歓喜の声を上げ、手を打ち鳴らした。ワンゲリンさんは不安になった。会場の教会は普段は厳かなスタイルで礼拝をしていたからだ。ところが会衆も聖歌隊のリズムに合わせて手を打ち鳴らした。そして「私たちにはこれが必要だった」と口にした。

「神は私たちに人種差別の壁を崩すことを望んでおられる。白人たちと個人的に親しくなるために。そして白人のクリスチャンたちを愛するために」。この聖歌隊の目的を再確認する出来事となった。

ワンゲリンさんはこの経験をこう振り返る。「イエス様も拒絶され、十字架にかかりました。しかし、イエス様はご自身の愛と赦しを全世界に示されました。『彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです』(ルカ23章34節)と。今日の黒人問題も同じです。それ以上に、今日多くの人は寂しさと捨てられたという感覚をもっています。疎外されてしまっている。聖書の本当の力、愛を知ってほしい。イエスという方がどれだけ人々を愛しているかを知っていただきたいのです」