第8回首都圏宣教セミナー① 山崎氏「実務は教会に潜み入るこの世性との戦い」 せめぎ合いの地で生きる

「第8回首都圏宣教セミナー」(OCC首都圏宣教推進協力会主催)が5月22日、オンラインで開催。「牧師と教会員のための『こんな時どうする?』~知って備える教会実務~」をテーマに、『教会実務を神学する』(教文館)を出版したばかりの山崎龍一氏(お茶の水クリスチャン・センター常務理事)が講演した。当日はクリスチャンの弁護士、行政書士、税理士、社労士、宅建士、ファイナンシャルプランナーによる分科会、山崎氏と牧師によるパネルディスカッションも開かれた。同セミナーには、日本全国から約400人の申し込み、参加があった。【中田 朗】

山崎氏は講演1で「この世に生きる教会の営み~教会に潜み入るこの世性との戦い~」と題して話した。
この分野に関心をもった理由については、▽キリスト者学生会(KGK)時代の経験、▽教会や宣教団体の運営上の課題(失策)に多く出会うことがあったこと、▽日本キリスト教史と宗教団体法についての学び、▽教会らしいマネジメントを整える必要を感じたこと、などを挙げた。
この経験から、この世に生きる教会の営み、教会に潜み入るこの世性との戦いにおけるキーワードとして、①物事を教会的に考える、②せめぎ合いの地で生きる、を挙げた。①は、現在起こっている出来事・課題を、キリスト教の価値観に基づいて見つめる時に生じる信仰の成熟により、整えられた言葉・思考によって物事に当たること、②は、異なる原理で機能しているこの世の現実から逃れずに生き、責任を果たし、教会として立ち続ける。教会や宣教団体も、信仰の良心に反しない限りにおいて社会通念を理解し、法令遵守を前提としながら、教会を建て上げていくこと、だ。
さりげない会話を「教会的に考える」必要性も説いた。例えば、「宗教法人取得については、最近、監督官庁が厳しいので、簡単に認可されない」といった言葉だ。「宗教法人は許認可制度ではなく、監督官庁は存在しない。準則主義で行政窓口としての所轄庁があり、認可ではなく法人規則の認証(確認)のみ。認証書を元に法務局で法人設立という手順となる。1939年に公布された宗教団体法のイメージが強すぎると、宗教法人法も許認可だと思ってしまうのではないか」

山崎龍一氏

また、牧師は「給与」か「謝儀」か。「牧師については、労働の対価としてでなく、教会が教会であるために感謝としてお渡ししている。なので、牧師にお渡ししているのは給与でなく謝儀だ」 「このように、教会実務は、信仰の本質ではないと思われがちな、経済、法律、税金、不動産契約など、この世の知識を扱う分野だ。だが、丁寧に考えていくと、これもまた信仰の分野であり、福音理解の深まりが扱われる分野だと理解することによって、教会実務の神学への試みが生まれる」
このようなせめぎあいの地で生きるために、三つの点を挙げた。第一に、福音を心の中に押し込めない。「福音は生活全般に関わることであり、この世の様々な出来事においても、神の支配と信仰による価値観をもって対応することがキリスト教信仰に生きることだ」
第二に、問題を「わからない」「不得意」と言って遠ざけない。「教会にとっては実務に精通することが目的ではなく、教会的なものの見方をし、方向性を決定する。その上で専門家に相談する」
第三に、この世に立ち、苦しみに生きる。「最も難しいのは、この世が教会に戦いを挑んで来ることではなく、教会の中から『この世』に立った主張が出て来ること、あるいは『それは信仰の本質ではない』という主張が出て来ることだ」
宗教法人法については、こう語る。「宗教法人法は、教会の財産を維持管理するための法律であって、教会全体を管理する法律ではなく、行政側から信仰の内容に踏み込むようなことはしてはいけない。だから、宗教法人総会(責任役員会)の下に信仰事項を話し合うことは、宗教法人の基本的な考え方に、自ら反している。宗教法人格を持つ教会や団体は、文化庁が言う『世俗的事項』に自ら下って教会政治を行っていないか」
「宗教法人法の概念とキリスト教世界観は基本的にかみ合わない。このかみ合わない部分をどのように着地させるか、常に神学的思考を働かせながら、教会の意思決定と法人規則における決定事項との『葛藤、せめぎ合い』を理解し、法令至上主義に陥ることなく、法人規則を遵守する着地点を見出していく知恵が問われる」と語った。(次号につづく)