東京、千葉から福島へ 私の3.11~10年目の証し いわきでの一週間⑥

写真=会津チャペルで輪になって祈る。写真提供=青柳聖真

私の3・11」第三部は、私と当時出会った人たちの体験を中心に、10年を振り返る。【高橋良知】
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第三部  1回 2回 3回 4回 5回

▼2011年3月11日

この日は長老教会・グレースシティチャーチ東京宣教師のロジャー・ラウザーさんとアビさんの結婚記念日だった。夫婦で旅行に行くつもりだったが、そのプランは、震災救援活動に置き換わった。「私たちのストーリーよりももっと大きな神様のストーリーがあった」とアビさんは振り返る。子どもの世話のため、米国から両親に来てもらっていたが、これが救援活動で助けになった。

▼3月13日

長老教会・おゆみ野キリスト教会では、この日までにトラックを入手し、東北へ物資を運んだ。大舘晴明さん(現協力宣教師)も荷物の積み込みを手伝った。同教会牧師のダニエル・アイバーソン宣教師の姿を見ながら「宣教師は命懸けで人々のために奉仕するのだと思わされた」と話す。米国の宣教団が、災害救援のために蓄えていた基金にも申し込んだ。

グレースシティチャーチ東京牧師の福田真理さんは12日に自宅に戻り、13日は、普段利用している銀座の貸ホールで礼拝をした。「皆で手をつないで祈りました」

12日は自宅近辺の救援をしていたロジャーさんや青柳聖真さん(現グレース・ハーバー・チャーチ牧師)たちは、13日夜から、支援のため千葉に向かった。千葉に滞在していた保守バプ・福島第一聖書バプテスト教会牧師の佐藤彰・ちえ子夫妻とともに、福島に行くことになった。

▼3月14日

夫のいない間、東京でアビさんは心細かった。

しかし、夫の支援活動を支えていきたい。そんな思いを14日月曜日の午前中、幼稚園のママ友数人に話した…驚いたことに、その日の昼には、私の家は物資でいっぱい。数人から始まったのにその日だけで数十人の協力者がいたんです…」(クリスチャン新聞2011年4月10日号

マンションのコミュニティールームを貸してもらったが、夕方までには、そこもいっぱいになった。荷物を整理する中、アビさんは祈った。すると、ママ友の知人のつてで、物流会社のトラックがやってきた。物流がストップし、トラックが空いていたのだ。ただ運転手がいない。もう一度祈ると、「フェイスブックを見ました」と海外NPOで働いていた男性が入ってきた。支援先の住所と電話番号を伝え、トラックを送り出した。

 ▼3月15日

深夜1時、青柳さん、ロジャーさん、おゆみ野教会のメンバーらは、トラックに物資を積み、佐藤牧師夫妻は乗用車で会津に向かった。福島第一原発近くから避難した教会員らが、福島県会津若松市の教会に保守バプ・恵泉キリスト教会会津チャペルに受け入れられていた。

東京方面へ向かう車線は渋滞だったが、東北方面へいく車は少なかった。一般道を通り、10時間後の午前11時に到着。午後には被ばく検査を終えた教会員らも合流し、約60人が集まり、礼拝をささげた(流浪の教会』佐藤彰著、2011年参照)。

一晩中運転をしたロジャーさんは休む暇もなく、くたくただったが、急きょその場でミニコーンサートを開くことになった。普段はオルガン奏者としても活動している。楽譜もなく、疲れ切った状態で、本人としては「コンクールで優勝する演奏」ではなかった。しかし…

曲が終わるたびに『ブラボー』『素晴らしい』と声が上がった。そのひとときだけ、そこには恐れも悲しみも、地震も津波も放射能もなかった。音楽と笑顔だけがあった。それは無駄に見えたが、確かな力があった」(『美の香り』ロジャー・W・ラウザー著、2021年

この思いがその後長く続く被災地支援につながった。

深夜にロジャーさん、青柳さんらが東京に戻ると、たくさんの物資に驚いた。仮眠をとって起きると、もうトラックの出発の準備ができていた。
おゆみ野教会でも、大型の水タンクや携行ガソリン容器などを集めていた。

 ▼3月16日

おゆみ野教会とともに、夜、ロジャーさんらは宮城方面に、福田さんと青柳さんらはいわき方面へ出発した。(つづく)