救援の本格化と再出発 私の3.11~10年目の証し いわきでの一週間⑧

写真=大きな水のタンクを皆で運ぶ

私の3・11」第三部は、私と当時出会った人たちの体験を中心に、10年を振り返る。私は当時グローバル・ミッション・チャペル(単立平キリスト福音教会)で避難していた。【高橋良知】
§   §

連載→ 第一部 1回 2回 3回 4回 5回 6回 7回 8回

第二部 1回 2回 3回 4回

第三部  1回 2回 3回 4回 5回 6回 7回

 ▼2011年3月17日

この日のデボーション誌『マナ』の個所には「兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう」(Ⅰヨハネ3章17節、新改訳第三版以下同)とあった。解説では「クリスチャンは伝道やあかしについては熱心ですが、兄弟姉妹の必要のためには案外無関心でいる場合があるのでは」と問いかけていた。東日本大震災の中で現実味を帯びて響いたであろう言葉だ。

千葉県の長老教会・おゆみ野キリスト教会やグレースシティチャーチ東京のチームがいわきに到着すると支援活動のピッチは上がった。

 「午前8時頃、救援物資を積んだトラックが到着。ウェットティッシュ、消毒液、洗剤、石鹸、オムツ、 ベビー用品、生理用品、ドリンク、皿、わりばし、コップ、乾燥麺、レトルト、缶詰、ドリンク、また大量の衣類、毛布などが届けられました」(クリスチャン新聞3月27日号

この時、福田真理さん(グレースシティチャーチ東京牧師)とあいさつを交わしたのを覚えている。青柳聖真さん(現グレースハーバーチャーチ牧師)、大舘晴明さん(現おゆみのキリスト教会協力宣教師)もいたと思われる。巨大な水のタンクを、男手で力を合わせてトラックから下ろした。

「…物資の仕分けの後、改めて全員で、物資配送を計画。いわき市は全国で3番目の大きさの市で、場所は選別する必要がありました。近隣の人々、避難者が、教会に訪ねてきています。水道が遮断されている四倉からも、水をもらいに来た人がいました。…物資が非常に不足しており、野菜、食料などをお渡しすると、涙ながらにお礼を言っておられました。近隣からも、物資の到着を聞いた人が訪ねて来られ、野菜などを取りに来ました。…医療機関には薬がなく、一般のボランティアである私たちに薬を要請するほどです。…大きな避難場所には、公の救援が行きますが、小規模の場所、個人の場所、特に介護施設に救援が行き届いていません。そういう所に救援物資を届けるために教会に残る人、避難場所に行く人と分かれて作業を進めています…」(同3月27日号)

この日、教会員の女性、子どもなどは避難のために那須、千葉などに移動した。

写真=クリスチャン新聞2011年3月27日号

 ▼3月18日

おゆみ野教会の第二陣のトラックが来た。東京の教会有志、長野県などからも支援グループが集まってきた。

東京のグループの車の座席に空きがあった。前回書いたように、学生生活をしていた仙台に行きたい思いもあったが、いったん関東の実家に戻ることにした。形勢を整えて仙台の救援活動に合流しようと思った。 夜、関東に向かった。いわき方面に向かう反対車線に続々と「災害支援」を表示した車を見かけ、力づけられた。いわきに残る人たちのことが心にかかった。「自分には救援のノウハウはない。出来ることは何か」と自分に問いかけた。

19日朝、実家に戻ると、いわきでの経験を整理し、SNSで発信したり、クリスチャン新聞にメールで送るなどした。

その時のSNSの発信では、「外に足を運べない人にこそ、物資が必要」、「長期戦のニーズがある」と強調した。さらに「人々の心が開かれている。牧師、教会の名を告げても人々は、拒否反応はない。ひとびとの痛みを聞き、ともに祈ることができた。能率主義に陥らないこと。能率を全く考えないわけではないが、成果や量を求めすぎると自己満足になる。いかにひとりひとりの心に届いたか。イエスが愛したひとびとを愛していけるか」と述べ、最後に18日朝の「マナ」の聖書個所を引用した。「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています」(Ⅰヨハネ4・7)(つづく)