「気候変動とキリスト教―人新世と宗教」福嶋氏講演 “支配構造の批判的克服を”
写真=多様な資料を紹介して説明する福嶋氏
環境破壊にどれだけキリスト教が加担したか。批判的なまなざしを通して、これからの世界とキリスト教の在り方が開かれていく。関西セミナーハウス活動センター主催の講演会「気候変動とキリスト教―人新世と宗教」(9月11日、オンライン)で、神学者の福嶋揚氏が語った。「気候変動に取り組むためには現在の資本主義を乗り越えなければならない。これは単なる思想の問題ではなく、生きるために必要な問題」と危機感を露わにした。【高橋良知】
「人新世」とキリスト教
「人新世」とは人類の活動の痕跡が残る年代についての地質学的な表現だが、環境問題や文明論の文脈でよく用いられている。福嶋氏は冒頭で、話題書『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著、集英社2020)を挙げて、「同書で提案される高まいなビジョンを具体的にどう行動に移すか行き詰った。同書の徹底的な唯物論をどうキリスト教へと橋渡しできるか」。そこでヒントになる本として、キリスト教のエッセンスを巧みに取り入れた社会学者の大澤真幸氏の著書『新世紀のコミュニズム』(NHK出版、2021)も勧めた。
環境問題に関しては、西洋キリスト教による「地の支配」が、自然破壊をもたらしたとする歴史家リン・ホワイト・ジュニアの批判がある。一方キリスト教にも「聖書や伝統の中にエコロジカルな知見を再発見」したり、「過去を反省して自然諸科学などから学びつつ軌道修正する」流れもある。教皇フランシスコの環境回勅『ラウダート・シ』 は気候変動阻止に関するパリ協定に影響を与えた。
しかし福嶋氏は、「ホワイトの主張には今なお傾聴すべき点がある」と述べ、支配構造に着目した。「創造者としての神(と被造物)、神の似姿としての人間(と自然資源)、精神(と肉体)という三重の支配構造、さらに『家父長的な男性支配』が社会や環境を支配する構造を容認した」と指摘した。
福音派右派の懐疑論
さらに現代において、直接的に気候変動の危機に加担するキリスト教として、米福音派の一部に見られる「気候変動懐疑論」を挙げた。共和党支持層と結びつき、米国のパリ協定離脱につながった。「多種多様な福音派があり、『グリーン』なトレンドもある」と留意した上で、福音派の環境問題への関心の低さを指摘した。原因の一つには終末論の解釈による「終末アパシー(無関心)」が言われるが、「むしろ気候変動を『競合する終末論』とみなし、『世俗文化に対する防壁』を築いている」という分析も紹介した。
「福音派右派だけでなく、むしろキリスト教にあまねく見られる問題なのではないか」とも言う。
「そもそも聖書には、利子の批判など、ラディカルな資本主義批判があったが、貨幣経済が進み、利子が容認された。様々な『異端』運動は、聖職者階級の贅沢や搾取に対する批判だった。宗教改革後も二王国論やカルヴァニズムが商業活動と結びついた」と振り返った。
近現代になると、資本主義はキリスト教の影響から離脱する一方、「グローバルに遍在し、不可視に作用し、安定を約束すると共に負債を負わせ続ける最高権威」という一種の「宗教」の様相を帯びたと指摘。環境問題は、「資本家が利潤最大化のために、本来負担すべき費用を支払わないこと」(外部化)によって、「生産活動に必ず伴う廃棄物(温暖化ガス、核廃棄物等々)の処理や、破壊された自然の再生などを、市民、政府、ひいては未来世代に転嫁する」事態となった。
(このあと福嶋氏は、「資本主義と国家に対抗する原動力は、ナザレのイエスという一人格」だと語ります。2021年9月26日号掲載記事)