原田氏「聖書学校120年─メソジスト運動との関わりで」 内実変わった「四重の福音」 第22回日本ウェスレー・メソジスト学会研究発表②

日本ウェスレー・メソジスト学会(田添禧雄会長)の第22回総会・研究会が9月13日、オンラインで開催(9月26日号で一部既報)。当日は河野克也(ホーリネス・中山教会牧師)、原田彰久(東京聖書学校舎監)、坂本誠(ナザレン・下北沢教会牧師)の各氏による研究発表が行われた。今回は原田氏の研究発表「聖書学校120年─メソジスト運動との関わりで」。

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以下は研究発表の要約。
─東京聖書学校は、日本基督教団認可神学校である。1942年のホーリネス弾圧事件後に閉鎖され、戦後に復興再建・創立した。ルーツは1901年に神田神保町で始まった「中央福音伝道館」併設の「聖書学校」である。メソジスト監督教会の執事教職であった中田重治がカウマン夫妻と共に設立。今年はそれから120年を迎える。

「聖書学校」は、長老教会牧師でアライアンス教団の創立者であるA・B・シンプソンが1882年にニューヨークで設立した「The Nyack Missionary College」が最初のものと言われる。特に中田が学んだムーディー聖書学院が有名であり、そこで「聖書学校」の構想を得たと言われている。

1898年にアメリカから帰国した中田は、超教派でホーリネス運動を推進する「聖潔之友」と呼ばれる団体を設立し、機関紙「焔の舌」を発行している。1901年1月の「焔の舌」20号の「新設さるべき伝道館と聖書学校」と題する案内では、「神学校ではなく神の学校」と述べている。

4月に開校した「聖書学校」で教えられていたのが、一般的に「四重の福音(新生・聖化・神癒・再臨)」と呼ばれる。元来、シンプソンが「救い主・きよめ主・癒し主・来るべき王」として提唱した「キリスト論中心」の福音理解である。中田はアメリカ留学中に、「救い主・きよめ主」を「新生・聖化」で解釈し直してメソジスト主義化された「四重の福音」と出会い、自己のアイデンティティーとして捉えていた。つまり中田の独自性はない。

その聖化理解は、19世紀北アメリカのホーリネス運動における「祭壇神学」に根差したものであった。またジョン・ウェスレーの1738年のアルダスゲイトにおける信仰経験の理解も「古典的なアルダスゲイト解釈」と呼べるものであった。それは、1725年のオックスフォードの経験を「回心」、アルダスゲイトの経験を「きよめの転機的体験」、「第二の恵み」と捉える。これは二つの経験を「救いの秩序」(オルド・サルティス)に合わせて無理に解釈したものではないか。これらの考えは今日、ウェスレー自身の理解とは異なることが明らかになっている。

これ以外にも、ホーリネス派はメソジスト派の幼児洗礼を受け継がなかった。中田は「小児が新生しているかどうかを鑑識する必要がある」と述べ、幼児洗礼理解に問題があったのではないか。また再洗礼を認めている点も課題である。

あるいは再臨と神癒について、シンプソンはヨハン・クリストフ・ブルームハルト(父)の影響を受けている。もちろん、シンプソンやムーディー、中田は「ディスペンセーション主義千年期前再臨説」という独特の再臨論に立っていた。一方、ブルームハルト父子は20世紀を代表する弁証法神学運動のルーツでもある。特にカール・バルトは『教会教義学』でブルームハルトにおける終末論の再発見について述べており、再臨とのかかわりでホーリネス運動と接点があるのではと興味深い。

クリスチャン新聞web版掲載記事)