日本で知った「これこそが放送伝道」 太平洋放送協会常務理事 ティモシー・セランダーさん

「2年間だけ日本で働く予定が、40年になっちゃったよ」。

太平洋放送協会(PBA)で常務理事という肩書をもち、現在も放送伝道のための番組制作を続けるティモシー・セランダーさんは、公共放送という手段を使って、福音を伝える働きを、日本という異国の地で担ってきた。40年にわたってセランダーさんを日本の地に留まらせたものは何だったのか。宣教への思い? 放送伝道への愛着? 日本人に対する重荷? この間、日本の教会とその在りようを見続けてきたアメリカ人クリスチャンは、「日本の教会は、小さいけどすごい」と言う。【髙橋昌彦】

 

「クリスチャンのため」でなく
伝道のための番組を求めて

 

シカゴ近郊の町で、熱心なクリスチャンの両親のもとに生まれた。両親の友人には宣教師もいた。母親は、アメリカの福音派のキリスト教雑誌「クリスチャニティ・トゥデイ」の副社長を務めた人だが、「その影響でこの仕事に?」と聞くと、「まるで関係ない」と即答した。それでもジャーナリズムには興味があった。大学で学ぼうとしたが、両親の方針で、学費は自分で工面しなければならなかったので(アメリカではよくある話だ)、学費の安いキリスト教の大学に進学した。そこは放送伝道をやっていた牧師が始めた大学で、放送とジャーナリズムを学ぶことができた。

それまでに培ったカメラマンとしての技術を生かして学費を稼ぎ、大学で学ぶ生活だった。授業では、出版や放送に携わる業界の人が来て、それぞれの話をしてくれたが、みな退屈だった。クリスチャンもそうでない人も、その話しぶりと内容からは、自分の仕事に熱意をもっているようには見えなかった。やる気のある営業マンの話も聞いたが、内容は、いかに金を儲(もう)けるか、だった。そんな大学生活の中で、神様から「あなたの技術をわたしのために使いなさい。放送伝道をやりなさい」と言われた。

アメリカにはキリスト教の放送局や番組が数多くあったが、聖書の学びや著名な牧師の説教、キリスト教のエンターテイメントなど、すべてクリスチャンのためのもので、未信者に向けての「伝道番組」はなかった。「放送を使うなら福音を伝えるべきでしょ。でも自分がやりたいと思う放送伝道は、アメリカにはなかった」。そこで南米や極東など、海外のキリスト教放送局で働こうとした。しかし、どこに応募しても、「今でなくていい。一般の世界でキャリアを積んで、スキルを磨いてから戻ってきてほしい」。同じ答えが返ってきた。

 

地域教会が支える
地域教会のための放送伝道

そんな時に舞い込んできたのが、日本からの手紙だった。大学時代に結婚をしたが、その相手は日本で宣教師として働いていたシーリー氏の娘で、日本育ちだった。そのつながりで当時PBAの支配人をしていた宣教師のタイガート氏に話が伝わり、「2年間、日本で、番組制作をしてほしい」という申し出を受けた。日本については何も知らない。妻は宣教師になる決心はしていたものの、日本で働くつもりはない。それでも、「2年間だけなら。海外での仕事は、その後の仕事を探す時の有利なキャリアになる」と考えての決断だった。そして、その「2年間」が導きの時となった。

1981年、23歳で日本に来た。タイガート氏から託されたのは、英語で日本を紹介する番組。毎日2分間のスライドの番組を、アメリカの放送局で流す。取材と原稿書きが仕事だった。日本で手に入る英語の書籍や、「ジャパン・タイムズ」などの新聞や雑誌から記事を集めて、日本のニュース、文化、教会の様子、そしてPBAの働きをそこに盛り込んで、番組を作った。タイガート氏が原稿を読む以外は、録音の編集まですべて一人で行った。当時PBAが国内で放送していたラジオ番組の制作に直接関わるわけではなかったが、その働きを見ている中で、アメリカの放送伝道との大きな違いに気がついた。

「日本の放送伝道には、ビッグネームの牧師がいない」

一人の有名な牧師とそのメッセージを伝えること、その人中心の働きがアメリカのキリスト教のラジオ番組。その牧師の声にリスナーは耳を傾け、その教会に人が集まり、献金も集まる。ラジオの放送は遠くまで届くので、それを聞いた人は自分の町の教会には行かずに、その牧師の教会まで車を飛ばしてやって来る。ラジオを聞くだけで、教会に行かない信者もいる。

日本の教会はみな小さくて、ラジオ放送などできる資金がないのに、その小さな教会が集まって、一緒に苦労しながら放送を支えている。「ハトリアキラ」の名前は聞いていたけれど、教会がお金を出し合っているのは、地域の伝道のためで、自分たちでそのフォローもしている。アメリカの放送は地域の教会のことを考えていない。あれは伝道ではない。

「それがわかった時にショックだった。これはすごい、これこそが放送伝道だ、これに一生かけよう、と思った」

タイガート氏に話すと、「製作スタッフは無理。あなたは宣教師の立場だからうまくいかない」と言われた。確かに自分の立場は「宣教師」で、日本人スタッフからは「ティム〝先生〟」と呼ばれていた。アメリカ向けの番組制作の仕事はしていたが、作業はすべて自分ひとりで行い、仕事上の他のスタッフとの交わりは無かった。当時PBAには数人の宣教師がいたが、みな現場の仕事はしていなかった。そんな組織の中での人間関係、上下関係のことを、日本語がペラペラで、日本の文化を熟知しているタイガート氏は、言ったのだと思う。それでも「この人たちと一緒に、日本の宣教をやろう」と思った。「日本で伝道するなら、スタッフの立場」と思い、自分から日本人スタッフに声をかけ、ふざけた宣教師として冗談を言い、その輪の中に入っていった。

「ある時、一人の牧師が涙を流しながら話してくれたね。ライフ・ラインの放送が始まって、どんなに伝道が楽になったかって」。それまでは、訪問して教会名を言っても相手にしてくれなかったのに、「〇〇放送でやっているテレビ番組ライフ・ラインの者です」と言うと話を聞いてくれるのだと言う。「この伝道の働きはPBAがやってるんじゃない。PBAは番組を作って、その手助けをしてるだけ。伝道は地域の教会がやってるんだ。これって、すごく聖書的だと思う。引退してアメリカに帰ったら、こんな放送伝道があることを、アメリカの教会に教えてあげたいね」

クリスチャン新聞web版掲載記事)