実践から向き合った「神の民」の問い 『神の国を生きる キリスト教生活共同体の歴史』
『神の国を生きる―キリスト教生活共同体の歴史』は「聖書編」と「実践編」と二部構成からなる。
著者は執筆目的について、「キリスト教会の歴史において、その時代に主流をなす制度的教会が宗教化・世俗化して閉塞したとき、神は社会の荒野に預言者を立て、神の国を生きる共同体を興すことを繰り返して来られました。これから『キリスト教生活共同体の歴史』を辿ってみたいと思います。この歴史の旅の目的は、時代の断層を貫いて流れる霊の地下水につながる生活共同体を通して、神が人類の歴史になさっている贖いのみわざを見定めながら、私たちが『異なる者がキリストにあって互いに愛し合ってひとつになる』という神の創造の目的に生きる信仰と知恵を学ぶことにあります。その目的のために、世界に広がる神の民の歴史に生まれた共同体を紹介していきたいのです…」と記す。
私自身は70年代後半に受洗し、しばらくの期間、「福音」とは、「ただ『イエスを信じて罪を赦されて天国に行く』ということ」と受けとめてきた。しかし、著者が引用するスコット・マクナイトをはじめ、ここ10年余りの期間に紹介されるようになった神学者、聖書学者の著作を手掛かりに聖書を読み返すなか、改めて主イエスの説く神の国の福音の豊かさ、主イエスの福音における「神の国」の中心性について再認識させられている。
本書は、日本の福音派のなかで、「個人であると同時に連帯的な人格(愛し合う交わり)として造られた者」として意識的に歩んでこられた著者が、余市惠泉塾、そして四街道惠泉塾という神の国に生きるキリスト教生活共同体生活の実践を通し、そこからわき起こる問題意識をもって聖書に向かい、神の民の歴史に問う中で生み出された一冊である。現代の教会、そしてクリスチャンに対し、改めて、神の国の福音に生きるとは何を意味するのか、とくに連帯的な者たちの共同体であるべき教会の在り方への真摯な問いかけは説得力がある。
(評・松本雅弘=カンバーランド長老キリスト教会高座教会牧師)
『神の国を生きる キリスト教生活共同体の歴史』
後藤敏夫著
いのちのことば社、
2,090円税込、四六判
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