埼玉県川越市の川越キングス・ガーデン(社会福祉法人キングス・ガーデン埼玉=片岡正雄理事長)に新施設が誕生した。建築面積3千150㎡、延床面積4千780㎡、鉄骨造地上2階建てで、特別養護老人ホーム80床、ショートステイ20床の計100人の受け入れ可能な施設は、台風による浸水被害を乗り越え2022年1月に竣工、2月1日から入居が開始される。

写真上=広々とした食堂。天井の高さまである窓から明かりを取り入れている
写真下=食堂の横に見える「光庭」

職員と利用者 現場の声を重視

東武東上線鶴ヶ島駅を降りると、大学生の姿が目につく。

この駅を最寄りとする東洋大学に向かう若者の流れを見送って、敷地にゆとりのある住宅を両わきに眺めながら広い道を歩くこと10分ほど、右手が開けて2階建ての新しい建物が目に入ってきた。

天気が良いせいか、青空を背景にして建物前面の落ち着いた濃い茶色の壁が華やかに見える。門を入ると広々とした駐車場が広がるが、すぐ横には正面奥の玄関まで続く屋根つきの通路がしつらえてある。雨の日でも濡れることなく車の乗り降りができそうだ。

玄関を入り左手すぐには、2階まで吹き抜けの広いスペース。学校でよく見かける25メートルプールほどもあるだろうか。

正面の壁には大きな十字架の意匠の明かり取り。これがひときわ目を引いている。

大規模なイベントの際はこのスペース全体を使い、普段はデイサービスの利用者の食堂や機能訓練に、また間仕切りをして会議室などにも利用できる。

利用者が使いやすいよう、玄関を通らずに外の屋根付き通路から直接この部屋に入ることができ、入り口には感染症を考慮しての手洗い場や、窓側には仕切りで隠すことのできる水回りが備えられている。

それぞれの居室から直接ベランダに出られる
2人用の居室。ベッドの間の間仕切り家具は、現場の要望を生かした特注品
車椅子のまま使用可能な機械浴
施設正面。駐車場から屋根つき通路が玄関まで伸びる

 

職員と利用者 現場の声を重視

さらに奥に進むと居住スペースが始まる。ショートステイ用に10の居室があり、20人が滞在できる。

浴室は安全を考慮して一人ずつ入浴する個浴とした。人の目を気にせずにゆっくりお風呂を楽しむことができる。

また介護が必要な人には機械浴も備えている。食堂正面の天井の高さまである大きな窓からは豊かな光が注がれ、食堂横のガラス越しに広がる「光庭」から採れる明かりとともに、落ち着きを与えてくれる。

明るく過ごしやすそうな空間だ。毎朝の礼拝もここで行われる。


ほぼ対称の造りで、さらに食堂と10の居室が、間仕切りなく奥に続く。特養の利用者30人のスペースだ。両方のスペースに目が届くよう、中央には介護職員用のコーナーが、医務室看護職員室と背中合わせに設置されている。

言われて初めて気づいたのだが、なんの隔てもないように続いて見えるショートステイと特養のスペースだが、必要に応じて完全に仕切られるように設備がされている。

これは感染症対策として導入され、同様の仕組みが医務室の向こう側の通路にもあり、緊急の際にはすべての通路を仕切り、常時いる特養の利用者と外部から出入りすることになるデイサービスやショートステイの利用者が接触しないよう、配慮されている。


2階にも1階とほぼ同様に21人と29人のスペースが、それぞれの食堂、吹き抜けの「光庭」とともにあり、すべて特養の利用者が使用する。

南側に面したベランダからは、市街地の風景や隣接する農家の果樹園が見え、晴れた日にはその向こうに富士山を眺められる。

1階には無い部屋として気づくのは、「ひかり」「にじ」と名付けられた二部屋の看取り室だ。医務室、看護職員室、介護職員室に囲まれ、「光庭」からの光が部屋にさすよう配置されている。

施設の紹介としては、やはり厨房に触れておきたい。1階の居住スペースに入った通路に面した側がガラス張りの部屋がそれである。

中が見える作りにして、職員と利用者がいっしょに生活していることが伝わるようにとの職員の希望により実現した。

おそらくは食事の献立とともに、もしかしたらそれ以上に、食事を準備する人の姿や料理のにおいが食欲をそそるのかもしれない。

 

浸水から二年 悲願の移転が実現


厨房に限らず、今回の施設建設にあたっては、計画段階から建設委員会が職員の意見を吸い上げ、生かしていった。

設計案として7社から出されたプロポーザルの選定の際も、職員全員が投票を行った。浴室の仕様や、コンセントの位置や向きなど細かなところまで、現場の声を聞いた。

壁紙の色にいたっては、サンプルを施設の入り口に並べて、利用者といっしょに選んだ。そうやってこの施設は造られてきた。

その利用者は現在、車で10分ほど離れた「仮設福祉住宅」に暮らし、2月1日の引越しを待つ人たちである。そう、この施設は、2019年10月の台風による浸水被害を経験し、まさにそこを乗り越えて完成に至ったものである。

施設南側
正面に十字架の意匠のあるホール。普段は間仕切りをしてデイサービスや会議室として使用

災害を教訓に 命守る施設として

施設長の渡邉圭司さんは、被災当時の状況を今でも鮮明に覚えている。

「10月12日は、『観測史上にない台風』という予報が出ていましたので、通常よりも多く24人の職員を配置していました。ご利用者は特養の79人とショートステイの21人、合わせて100人が施設にいらっしゃいました。雨で近くの越辺川から水が道路にあふれるのは例年のことなので、必要となったら備品を移動するとか、ご利用者を全員、土地をかさ上げして建てた避難用のC棟に避難させるとか、段取りは考えて備えていました。

道路から10段の階段を上ったところにA棟の玄関があるのですが、川から出てきた水が階段の5段目を超えるかどうかが避難の一つの目安です。夕食時に5段目まで来ていたのですが、台風情報を見ても余裕がありましたし、じきに雨も止んだので、避難はせず夜勤以外の職員も休むように指示しました。

水位の急激な上昇があると報告が来たのが夜中の1時半ごろです。A棟の玄関で30分おきに確認してくれていた副施設長が走って来て、廊下からも水が上がってくる音が聞こえているような状況でした。それで迷いなく避難棟への移動を指示しました。あとでわかったのですが、川の堤防が決壊したんです」

渡邉圭司 施設長

C棟への避難とそこでの利用者への対応は、職員の働きが素晴らしかったと渡邉さんは言う。

「寝ているご利用者を起こして避難するんですから、中には混乱する方もいらっしゃいます。でも職員は普段介護で接する中で、ご利用者のお体の状況をよくわかっているんです。車椅子で移動するかベッドごと移動するのがいいのかなど、よく心得ていたので、比較的早く移動できたと思います。転倒などの事故もなくてよかったです。

避難した後も、1階と2階に分散していた時はご利用者もまだ協力的だったのですが、水位が上がって来て安全のため全員2階に移動した時は、声を出される方やイザコザがあったりしました。ご利用者職員合わせて124人ですから。

でも、ある入所者が窓の外に水が広がる光景を見て『海のようだね』と言ったところ、職員が海に関する童謡を歌ってくれたのです。お年寄り一人一人のお話を聴いたり、慰めたりしながら、丁寧に対応してくれました」。

こうして後全員が救助され、特養の入所者79人は、近隣の地域の施設に一時的な受け入れが行われた。

大上仁 事務局長

守られたのは人だけではなかったと、法人本部事務局長の大上仁さんは語る。

「理事会の議事録とサーバーのハードディスクです。A棟事務室は1・5メートルの床上浸水でした。議事録の原本は印鑑をもらわないといけないので、複製ができないんです。

過去7、8年分の議事録を私がたまたま1・8メートルの棚の一番上に置いていたんです。水が引いたあと、14日に現場に行って、事務室のドアを開けてそれを確認した時には、本当に泣き崩れました、神様ありがとうって」。

「事務室のパソコンはいくつか救出できましたが、ハードディスクは完全に水没しましたから、最初は全部ダメですと報告があったんです。でも復旧作業する業者さんを見守りつつ、涙ながらに祈りました。

その後四つの情報のうち、三つは復活したとの連絡があり、その中には給与支払いのための必要な情報がありました。給与伝送を行うパソコンは救出されており、送信に必要なワンタイムパスワード機器も水没した机から稼働している状態で発見されて、その週のうちに職員給与を送金することができたのです」

その直後の10月15日には理事長を中心として「災害対策本部」が立ち上がる。

今後の対策や方針を検討するにあたって、理事の児島康夫さんは神様から強い示しを受けたと言う。

写真=児島康夫 理事

「13日の夕方に避難先を慰問した時、顔見知りの入居者の方が私の方を見て言ったんです。『これは天災ではなく、人災ですよ』って。

ここは1999年にも水害に遭っていて、私はその時からの理事なのですが、『あれから今まで、理事会は何をやっていたのか』と問われた気がしたんです。実際、避難棟も建設し、移転も検討はしていました。でも結局、お年寄りに迷惑をかけ、恐怖を与えてしまった。安全安心な生活を提供するはずの特別養護老人ホームなのに、それができなかった。

その晩神様に問うたんです、『これからどうしたらいいんでしょうか』と。神様からは『すでにわたしの心は伝えたよ。なすべきことをしなさい、わたしがついているから』と言われたように思いました」。

片岡正雄 理事長

理事長の片岡さんも「命を守るためには、高台への移転復旧以外ありえない。それは職員を守るためでもある。移転できないなら、老人ホーム事業から撤退する覚悟だった」と言う。

 

「前例のない」道が次々と開かれ

建設委員会のメンバー。前身の災害対策本部から数えると、開かれた会議は120回を超えた

こうして災害対策本部からの移転提案を理事会は承認し、施設再建に向けて「職員が法人の宝」であることを確認、借り入れを行ってでも雇用を維持していく方針が決定された。

しかし、法的なハードルは高かった。

行政が「災害復旧」を行う場合、それは原状回復が基本であり、元の場所に同じものを造る。別の場所での復旧は前例がない。移転するとしても、完成するまでの期間、収入を得て事業を継続するためにはそのための代替施設「仮設福祉住宅」が必要になる。それも本州では前例がない。理事会として各方面に働きかけたが、当初行政の反応は思わしくなかった。

そんな時、菅義偉官房長官(当時)が浸水被害の現場視察に訪れ、川越キングス・ガーデンを訪問する。片岡さんはこう振り返る。

「菅さんはその場にいたボランティアの人たち一人一人に声をかけるような方でした。同行していた厚労省の老健局長を引き合わせてくれて、指示してくれました。名刺も渡したので、その後直接厚労省に請願に行くことも可能になったんです」。

それ以降、行政の対応が変化した。

11月には川越市長あてに「仮設住宅」と「移転」が必要な「理由書」を提出した。12月に許可が下りるまでを大上さんが振り返る。

「仮設に関する国のヒアリングがあったんですが、それが11月の予定が12月に延びて、ちょうどその日の朝に、他の施設に分散している入居者の現状がニュースで流れたんです。ヒアリングはその午後に行われ、それも神様のタイミングでした。仮設の許可は24日に下りて、クリスマスプレゼントだとみんなで喜びました。仮設の土地も県が協力してくれました」。

「移転のための補助金申請は必ず具体的な候補地がないと出せないんですが、理事会が移転決定をした時に、ある新聞がそれを報道したんです。それから土地の話がいろいろ舞い込みまして、申請ができました」


もたらされた土地の情報は20を超えた。

しかし必要とする土地には条件があった。面積千500坪以上、6メートル道路に面する、水害の恐れがない、埋蔵文化財の調査対象外(仮設は2年の期限があるため、調査対象では工期が間に合わない)、下水処理が適切にできること。

全ての条件をクリアするのは厳しく、最初に申請した場所も後から変更することになり、土地の選定は難航した。建設の工期から逆算して決定の期限が迫る中、ようやくこれらの条件を全て満たす土地が示され、契約直前までいったものの、信仰的に受け入れられない問題が浮上し、理事会は取得を断念した。

現在の土地の情報がもたらされたのは、断念後の対応を検討するための委員会が始まる7分前だった。

新しい施設が完成して、理事長の片岡さんはこれからのビジョンについてこう語る。

「災害を経験し、それを乗り越えられるよう多くの支援をいただいた川越キングス・ガーデンですから、これからは地域に根ざした施設として、普段の高齢者ケアだけでなく、地域に仕えるホームとして、災害時には高齢者や障害者の避難場所として用いていただけるでしょう。

また、命を守るということで言えば、高齢者だけでなく、障がい者やさらにその家族までも視野に入れて総合福祉を目指すべきです。私たちはこれだけのものが与えられて恵まれたわけですから、感謝の応答としてそこまで見据えたいですね」

施設長の渡邉さんもそれに応じ、「移転復旧ができたのは、神様から事業を続ける許可をもらったものだと思っています。温かい介護を通して、お年寄りが神様の光を見出すことができるように。また、福祉避難所として奉仕できるよう、市と協力して地域を助けたい。最後に、介護職が敬遠される風潮がある中で、ここで働きたい、働いてよかったと思われるような施設にしていきたいですね」と語った。

川越キングス・ガーデン

〒350-0806 埼玉県川越市天沼新田247-2 TEL:049-232-5155 FAX:049-232-5157
ホームページ:http://www.kawagoekg.or.jp/

クリスチャン新聞web版掲載記事)