先月1日に亡くなった韓国の宗教政治学・哲学者で東京女子大学元教授の池明観(チ・ミョンガン)氏を追悼する寄稿の第二回。今回は在日コリアン当事者として問題に取り組んでいるピアニストの崔善愛氏が故人とのかかわりを振り返った。

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「悩める少数者になることを決意し、歴史の中へ、政治の中へ入っていかなければならないと思います」「すべては、キリストの教会なくしてなしえなかった」。こう語った池明観先生はわたしの父・崔昌華牧師の親友でした。1970年代から、池先生は北九州市の実家に何度も来訪され、父は特別な信頼を寄せていました。

二人はともに朝鮮半島北部の出身ですが、その時代、朝鮮総督府による神社参拝の強要に抵抗した牧師や長老は逮捕される、そのような教会で青少年時代を過ごしています。45年に日本から解放されるも、「北朝鮮」のキリスト教徒は共産主義への転向を求められふたたび弾圧されます。ほとんどのキリスト者は北から南へ、あるいはアメリカへと離散しました。

朝鮮戦争(50~53年)を経て分断された韓国では、アメリカ主導の「反共政策」のもと、朴正煕軍事政権に入ります。朴正煕は日本政府と癒着、結託し、日本政府の「真の謝罪」がないまま65年「韓日条約」締結。これに対し激しい反対デモが起りますが、その急先鋒となった月刊誌「思想界」の編集主幹は、池先生でした。

戒厳令発令直前の渡日、それは政治的亡命ともいえるものでした。
72年から雑誌「世界」で『韓国からの通信』の連載が「T・K生」の名で敢行されましたが、2003年になって、東海林路津子さん(東海林勤牧師夫人)から、「実は、韓国から日本へ帰国する間、着ていた服の中に資料や手紙を隠し、池さんのもとに運んでいたのよ」と打ち明けられたことがあります。日韓のキリスト者らのあざやかな連帯と友情が歴史と政治をあるべき方向へ動かしたのです。

また私事ですが、約30年前私の結婚式では証人(仲人)を池先生ご夫妻が引き受けてくださいました。そのとき「同じ食卓を囲み、美味しいね、と言いあえれば、うまくいきますよ」と励ましてくださったときの柔和であたたかい声が忘れられません。

―「十字架にかける側、抑える側の精神と文化は、決して普遍性を持たない。十字架にかけられる側、抑えられる側が生み出す苦しみの文化と思想は、普遍的、人類的、人間的である。これは苦しむ側に与えられた特権ですらある」(池明観著『現代史を生きる教会』より)

クリスチャン新聞web版掲載記事)