オンラインでインタビューに答えるオルガさん

24日のロシアによるウクライナへの軍事侵攻以後、各種報道ではウクライナ国内での戦闘や避難する市民の混乱が伝えられている。クリスチャン新聞は26日、首都キエフからポーランド国境にほど近い西部の都市リビウに避難している女性に接触、現在の状況を聞いた。

 

女性の名前はオルガ・ダツク。首都キエフで生まれ、育ってきた。かつてのジャーナリスト/ライターとしての仕事からはしばらく離れていたが、ロシアによる侵攻以後、現在のウクライナの状況を内外のメディアに、また自らもSNSを使って発信している。

 

−キエフを離れた理由は?

ロシア軍の攻撃が激しくなってきた。軍の施設や政府系の機関が標的にされていて、市街地への直接の攻撃はなかったが、頻度が増えたので危険を感じ、夫と双子の姉妹とペットとともにキエフを出た。

 

−避難時の状況は?

大勢の人がキエフを脱出しようとしていた。駅は通常の4倍くらいの混雑だったように思う。2本待って、西に向かう電車にやっと乗れた。駅は非常に混乱していた。座席の取り合いになり、連れてきたペットを駅に置き去りにする人も。子供がいるから先に乗せてくれと懇願する女性もいた。騒然とした群衆を沈静化するために、警官が空に向けて銃を撃ったりもした。とてもストレスがかかる状況で怖かった。

 

−当時のキエフの生活状況は?

全てのインフラは機能していた。シェルターに隠れている人もいた。私の知る限り、今もキエフに限っては、インフラはキープされているが、食料や医療資源は足りなくなっているかもしれない。ロシア軍の侵攻で、医療機関や警察などを除いては、学校、大学、商店、企業活動、全てがストップした。一部の人はネットで仕事をしていたようだが、基本的に皆シェルターに隠れていた。

キエフを出る直前に街に出たところ、自分以外に人が見当たらない中、なぜか清掃する人が瓦礫を片付けていて、黙々と仕事をする姿は異様な光景だった。その人にとっては毎日の当たり前の仕事だったのだろうか、なんでこんな時に、と思った。

 

−今までにこのような経験は?

ない。初めてだ。私は平和に暮らすのに慣れていて、こんなことが起きてショックだった。

 

−2014年にロシアがクリミアを併合した時は?

基本的に衝突も戦いもなかった。あの時は、ウクライナは反撃する準備や用意ができていなかったところを、ロシアに一瞬にして持って行かれたようなもの。今回のようなことは初めて。

 

−今のような事態を、24日の侵攻開始以前に想定していたか?

国境付近で実際軍事演習が行われていて、ウクライナは威圧され脅されていた。しかし戦争状態は、14年以降すでに8年続いている。普段から戦争が起きたらどうすべきか、荷物をどうまとめるかなど、教えられている。そういう意味では、万が一のことに対しての心構えはできている。しかし、この規模にまでなるとは誰も現実的なものとしては予期していなかったのではないか。

 

−ウクライナは、歴史的に見ても、ロシアに心情的にも近く、同じ価値観を持っているのではないか?

確かにかつてはソビエト連邦に属していた。歴史的にも文化的にも強いつながりがある。私の両親もその環境で生まれて、ソ連の文化や価値観の中で育ち、それを継承してきた。そういう意味で、いわゆる東側とのつながり、アイデンティティーはあるし、感じるところも一部はあるのだろう。しかし、今のウクライナ人は変わってきた。プログレッシブに次を見て、前に進もうとしている。多くの人が、新しく切り開いていくようなウクライナを作りたいと思っている。

それは14年のマイダン(尊厳)革命によって明らかになった。当時の政府軍との間の衝突を乗り越えて、ロシアに近かった体制が崩れて、国が少し開かれた。あの時はみんなが町に出てデモに参加した。ヨーロッパの国と価値を共有するような、自分たちの新しい価値を追求するようになっていった。外国の人はウクライナを一番ロシアに近いと思っているが、私たちにとって、そう言われるのはすごく嫌なことで、自分たちは自分たちのアイデンティティーを持って、より進歩的に民主的な政治を進め、民主的な国家を作っていきたいと思っている。

ロシアの一部の人たちは、今だに昔のソ連のような大国意識を持っていて、兄弟国として運命共同体のようにウクライナを思っている人たちがいる。しかし、私たちから言わせればそれは幻想だ。そういう人たちが、ロシアにもまた一部ウクライナにもいたことは確かだが、今のウクライナは状況が全く異なっていて、私も、私の家族友人も、より西側向きの価値観を持ち、政治体制も文化的にもそちらに引き寄せられている。

 

−広い国土を持つウクライナの中では、地域によって人々の持つ価値観に違いがあるのではないか。

東部のドネツク州やルカンスク州はロシア系の人は多く、言語も近いし、より親近感を持っているだろう。一部には、もっとロシアに近づくべき、独立すべき、と考える人は当然いる。しかしロシア語はロシア人だけのものではない。マイダン革命で、ウクライナが西側に近づく、NATOに加盟するということに、イエスといった人たちが大多数だったということが明らかになった。それは東部の州の足元でも同様で、半数以上の人がそう考えていると思う。ウクライナの総論としては西側に向いてきているのが現状だと私は考えている。

 

−リビウはキエフと比べて安全か?これからの見通しは?事態によっては国外脱出も考えるか?

キエフと比べてここはとても安全だ。一日に3、4回はサイレンがなって、20分くらい地下のシェルターに隠れることはするが、実際の空襲は起きていない。そういう意味で安全。

今は友人のアパートにいる。二部屋に6人から7人暮らしている。人は入れ替わり立ち替わり。いろんな人を受け入れている。私は今、ボランティアとして国内避難民の援助をしている。この町は避難民が移動する拠点にもなっている。もともとジャーナリストの仕事をしていたので、いろんな人たちにこの状況を発信している。SNSも使っている。そのことに注力している。

今後は、状況が悪くなっても絶対国からは出ない。シェルターに入る回数は多くなるかもしれないが。国から出ることは考えていない。なぜなら、この国から出るべきは私ではなく、ロシア人だからだ。

 

−避難してきた人たちは、どうやって住まいを見つけているのか?

リビウの政府がよくやっている。友人や身寄りがいない人たちには、学校やスポーツセンター、公共施設などが解放されていて、政府がシェルターに入れるように整えている。国外に退避したい人には、ポーランドとの国境まで連れていくような交通手段もサービスとして用意されている。実際、子供や赤ちゃんがいたり、病気があったりして、出国せざるを得ない人たちがいる。そういう理由のある人たちがいること、私もそれは理解できる。政府がそういう対応をしっかりしているので、感謝している。

 

−あなたの周りの人で国外に避難した人はいるか?

実際に私の友人で、出ようとしている人たちはいるが、その列が長すぎて、例えば徒歩なら2、3日列に並ばなければいけない、車で4、5日。今後はさらに悪化するだろう。国境での様々な手続きに時間がかかっていて、食べ物もないし、ガソリンもトイレもない、人道的な危機のようになっていることも、友人からの情報で聞いている。

 

−ウクライナでキリスト教会はどのような位置を占めているか?

私は何も信仰はしていないが、ウクライナでは宗教は大きな位置を占めている。都会では少ないかもしれないが、田舎や小さな村では、宗教の立ち位置が大きい。地方のサイレンのシステムがないような町では、教会の鐘が警報の代わりになっていたりして、実際機能している。教会も何かしら連携しながら活動している。キエフなどでは今は空襲が激しくなっているので、普段なら教会などに行かないような人も、祈っていたりするのだろう。それ以外にできることがないような状況にいるのも知っている。

 

−これからどうなってほしいか?世界中でウクライナのために祈り、多くの教会が支援している。

祈ってくれるなら、ロシアのために祈ってほしい。彼らが正しくウクライナを理解するように。彼らはなぜか、ウクライナはロシアなしに富むことも成長することも自立することもできないと考えている。自分たちは運命共同体、兄弟国で一緒なのだから、なんで別れるのか、なんでNATOの方に行ってしまうんだ、という風に思ってしまうような考え方を持っているような気がする。ロシアには、ウクライナが独立した主権を持った国家であって、自らのことを自分たちで民主的に決めて判断して、経済的にも成長することができ、自立することができるという当然のことを、理解して欲しい。歴史的にもこれからもずっとそうだ。端的にいえば、放っておいて欲しい。ウクライナに干渉しないでほしい。心の底から祈ってほしいことがあるとすれば、そういうことだ。

−長時間のインタビューに答えてくれて感謝している。

ウクライナに関心を持ってくれてありがとう。