アプリ「聖書プロジェクト」をめぐって、キリスト教の視点で現代のメディア論、テクノロジー論を深めていく連載第四回。前回はエリュールのテクノロジー論が検討された。記者=チェイス・ミッチェル (記事原題:The Bible Project Would Like Your Attention, Please. 配信元https://medium.com/faithtech 数回に分けて掲載予定)

 

前回まで

IT宣教の潮流・考察① いま注目のアプリ 聖書プロジェクトとは?

テクノロジーの絶望と希望の間を揺れ動く IT宣教の潮流・考察② いま注目のアプリ 聖書プロジェクトとは?

テクノロジーを神の目的に使うには聖霊によって変えられることが必要 IT宣教の潮流・考察③

 思考の習慣

現在、最も著名なメディア・エコロジストはおそらくニコラス・カーであろう。2010年に刊行された『ネット・バカ(The Shallows)』(邦訳、青土社)は、新しいメディア技術が個人や社会に与える悪影響について言及し、ピューリッツァー賞の最終候補に選ばれている。カーはインターネットを「究極の邪魔をする技術」と批判し、インターネットの影響により生まれ持った感受性が変化し、脳の働き、ひいては意識が変化していると指摘する。ブラウザとウェブページのデザインについての彼の描写を見ていこう。

「ひとつのスクリーン上に多くの異なる情報を組み合わせて表示することで、ネットというマルチメディアはさらにコンテンツを断片化し、われわれが集中するのをさまたげる。たとえばひとつのウェブページのなかに、いくつかのテクストの塊、ビデオあるいはオーディオのストリーミング、ナヴィゲーション・ツールいくつか、さまざまな広告、「ウィジェット」と呼ばれる小さなソフトウェア・アプリケーションが、それぞれウィンドウに囲われたかたちで並んでいるということである。この刺激の不協和音が見る者の注意をいかに散漫にするか、われわれはみな知っている」(英訳91頁、邦訳131頁)

言い換えれば、インターネット・メディアは感受性を変化させるため、メディア化された環境に順応した形に思考の習慣が変化するのである。 このように考えると、カーはマクルーハンがそうだったように、ツールそのものが人の注意を引く影響力だと考え、テクノロジーがユーザーに与える影響について強調していることがよくわかる。

聖書プロジェクトは、表向きは聖書のメッセージなど複雑な題材を単純化しているが、マクルーハンとカーは、コンテンツそのものよりも、メディアがユーザーに与える影響がさらに重要だと主張している。解説動画は、ユーザーの思考の習慣を変化させる可能性があるオンライン環境で生まれ、その中で使用される。

本であれば集中して読み、深く考えられるが、聖書プロジェクトのコンテンツは、電子メール、SNS、カレンダーのアラート、チャットなどを相手にユーザーの注意を勝ち取らなければならない。このような競合は、ウェブサイトやYouTubeで聖書プロジェクトの動画を視聴していても存在するが、新しいアプリが絶えず新しい動画のお知らせをユーザーに発するようになると、この争いがより一層激しくなる。

クリスチャン新聞web版掲載記事)