事例① 福島県・北信カルバリー教会

牧師の燃え尽き 信徒の覚悟

「もうダメだ。自分にはできない」
それは、葬儀の当日、急にやって来た。教会員が召されたのち段取りを整え、その日を迎えたものの、体が動かなくなり、葬儀ができなくなった。いや、体が動かないというより、気持ちがついていかなくなった。プツンと糸が切れたように。福島県福島市にある保守バプテスト同盟北信カルバリー教会を2003年から13年間牧会して来た久場政則さんが「燃え尽き」た瞬間だった。司式は急きょ、教会の協力宣教師に代わってもらった。そこから久場さんは1年間牧会の現場を離れることになった。

11年に東日本大震災が起こった。未曾有の災害ではあったものの、教会では建物の被害も、人的被害も起きなかった。被災者支援に奔走したものの、被災地にあることで支援を受ける側でもあり、いわば「中間地帯」だった。外部の支援団体とも協力し、仮設住宅を回って物資を届け、コンサートを企画し、カフェを始めて避難して来た人たちの話に耳を傾けた。放射能被害が問題になる中で、被曝の心配のないところへ子どもを連れて行って遊ばせる「保養」プログラムに、地域の教会とともに、また教会単独でも取り組んだ。その時は必死で、自分のことに気づいていなかった。「保養」はやり続けなければいけないという気持ちだった。広報を行い、参加者を募り、選定する。旅行の段取り、当日のプログラム、受け入れ団体との調整。次から次へとこなしていった。牧会との両立にジレンマを抱えながら、バランスを保つのに苦労した。
「でも体が動かなくなったのは、一番忙しかった時期ではないんです。保養の働きはその時はもう収束していましたし、福島市内も除染作業が進んで、数値も下がってきていた。保護者の間には安心感も出てきていた頃です。支援活動といえば、仮設住宅でのお茶会程度。でも、5年間その働きを続けてくる中で、気づかないうちに、何かが溜まっていったのだと思います」
当時執事で、現在は教会の事務スタッフをする橘内(きつない)智徳さんはその時のことをこう振り返る。「礼拝の後だったと記憶していますが、久場先生が教会員に向かって、泣きながら『私はもう働けない』と語ったんです。それを聞いた教会員のショックは大きかったと思います。でもみんなが、『神様からの休みだと思って休んで下さい』って、先生に言ったんです。そのことを私は誇りに思っています」「私自身は先生の苦しさを思うと、それに気付かなかった自分たち執事の至らなさが思われて、自分への責めが大きかったです。兆候は感じていました。月一回の執事会で先生はよく、疲れた、という言葉を口にしていました。しかしそれほど深刻には受け止めていなかったことが悔やまれます」

久場政則牧師

教会員が立ち上がる機会に

執事会は、それまで置いていなかったリーダーを決めた。「教会の対外的なことはその人が中心になって動いてくれました。教会にかかってくる電話もその人の携帯に転送するようにし、外部説教者の依頼や交渉も全てしてくださいました」。震災の支援活動を通して交わりが深まっていた地域の教会からは本当に助けられた。支援団体を通じて、遠隔地からも説教者がきてくれた。執事たちも、毎月交代で月1回の礼拝での奨励を行った。執事会は、以前は牧師が全ての段取りを立てていたが、以降は、リーダーがレジュメを作って、話し合いをするようになった。教会運営に関わる事項、信徒のケアや牧会的な事柄も。「先生が倒れたことで教会を離れた信徒はいません。それは神様の憐みでしかないのですが、人間的な目で見れば、教会が基本的に以前と同じように機能していたからとも考えます」
久場さんは、1年間の休養を経て、翌年の17年4月に牧会に復帰した。しかし最初は月1回の礼拝説教から、様子を見ながら、始めた。今は月に3回するようになったが、以前と同じようには出来ない。そこに戻った感じはないし、戻れないと思う。今もすべて様子を見ながらやっている。その久場さんも、中心になってくれる執事が教会にいたこと、その人の存在は大きかったと考えている。「私より先に救われた兄弟で、年齢は下。でも以前から信頼していた兄弟です。教会も変わりました。以前はやはり牧師中心に回っていましたが、今は、執事だけでなく、信徒が自主的に色々な働きをする様になった。こども食堂も始まりましたが、それも信徒の発案です。以前にはなかったことです。これからも何が起こるかわかりませんが、また同じ状況が生じてもこの教会はやっていけると思います」
橘内さんは「先生が倒れたことで、教会員はみな、自分たちが祈らなければという気持ちを持って、逆に立ち上がってくれた感じがします。教会が持続するとは、共同体として継続していくことでしょう。信仰であったり、助け合いであったり。そういう時だからこそ、みんなが一致して、力を合わせて乗り越える、その思いは信徒全てが共有できるだろうし、そうしてくれたと思います。信仰的にも支え合うために教会はあるのだろうから、互いに弱い部分を補い合う、その人と人との間に神様の愛が表されるのではないでしょうか」。

橘内智徳さん

事例② 東京都・A教会

牧師が召されても同じ礼拝を続ける

東京都下にあるA教会は、その教会を開拓した牧師が数年前に召された。以来、5人ほどで礼拝を守っている。元気で快活な牧師だったが、晩年は講壇には立つものの、新しい説教を準備することが困難になり、以前の説教ノートに書きためた講解説教を、繰り返し読むことで説教を行っていた。説教中に読むことが困難になると、信徒の和子さん(仮名)が代わって講壇で代読した。高齢ゆえの体の機能の衰えから、牧師が教会に来られなくなって後も、そのスタイルを守り、牧師が今まで書き遺した説教を和子さんが講壇から読むことで、毎週礼拝を守ってきた。
しばらくして牧師が召されて後、その娘の弘美さん(仮名)が代務者として立てられたが、新しい牧師は未だ招聘されず、同じスタイルで礼拝が捧げられている。教会が今まで守って来た式次第に従い、和子さんが招詞、交読文を選び、弘美さんが賛美を選ぶ。礼拝では、司会者として和子さんが立ち、牧師の遺した説教ノートから順番に説教を読む。トータルで40分ほどの礼拝を続けている。
役員はその二人にもう一人加えて3人で役員会を構成し、必要なことを話し合い、教会の運営を行っている。教会としての毎週の活動は日曜日の礼拝のみだが、コロナの時期を除いてここ数年行われて来た地域向けのコンサートには、外部の人とともに企画段階から関わっている。その一方で、所属する教団とのやりとりや、会堂の管理、信徒の問安などは実質的にすべて代務者の弘美さんが行っている。
他の教会員からも、牧師招聘に関してはあまり話が出ない。弘美さんは、「この教会は神様が与えてくれた教会。必要なら、牧師も神様が与えてくれる」と考えている。経済的な問題は確かにある。所属教団に要請すれば、神学生の派遣も可能だろうし、「祈らなければ」とみな思っている。一方で、和子さんなども「教会が作ってきた礼拝の形を今は守り続けている。今の人数ならその体制を変える必要はない」と思っている。

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群れをまとめる信徒の役割

何らかの理由で教会から牧師がいなくなることは、どこの教会にも起こりうる。準備をする余裕があってもなくても、教会は残された者、ほとんどの場合、信徒がその後を否応無く担っていかなければならなくなる。しかし、信仰的に自立した信徒の育成が求められ、どんな状況でも神様との関係を保ち続けられる信仰者の重要性が語られる中にあっても、「教会の持続」ということを考えるなら、それは、一人ひとりの信徒個人が神様と向き合い、その信仰を保っていくということとは、少し別のことが求められるのだろう。
北信カルバリー教会もA教会も、牧師不在時に教会がそのあり方を保ち続けようとした時、中心になるメンバーの存在が見えてくる。周りの信徒がそれぞれにその働きをし、役割を分担したとしても、必ず、求心力のある人材、群れをまとめるリーダーが必要とされている。それは誰でもが担える働きではないだろう。資質としてだけでなく、年齢的、体力的な問題も、当然考えられる。その上で、リーダーは群れから生まれてくるものなのか、意識して育てていくものなのか。そこに牧師に託された、牧会の要素が大きく関わってくるように思われる。

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「教会の持続可能性」に関するご意見・情報を、下の二次元バーコード(QR)からお寄せください。ご意見を下さった方の中から抽選で3名に『牧師のレジリエンス』(ジョン・ヒューレット著)をプレゼントします(当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます)。


次回の「フォーカス・オン」は、「フェイクニュースの背景(仮称)」をテーマに9月4日号に掲載予定です。

クリスチャン新聞web版掲載記事)

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