神の国に生き、社会への影響力を

 

第7回日本伝道会議(JCE7)が2023年9月に東海地区で開催される。日本の教会を取り巻く諸課題を、伝道の推進のために教団教派を超えて諸教会が集い、共に話し合い、協力して取り組むことを目的に開催されてきた伝道会議は、コロナ禍による礼拝の危機の渦中にあり、平和が脅かされる現実を目の当たりにしている日本の教会に向けて、何を共有し、確認し、目指そうとしているのか。

実行委員長の小平牧生氏(基督兄弟団・西宮教会牧師)を司会に、大会会長の石田敏則(シオン・キリスト・石岡教会牧師)、プログラム局長の中西雅裕(ホーリネス・宝塚泉キリスト教会、大阪キリスト教会牧師)、開催地委員長の羽鳥頼和(JECA・自由ケ丘キリスト教会牧師)、開催地委員で日本福音同盟(JEA)担当理事の内山勝(IGM・インマヌエル名古屋キリスト教会牧師)の各氏が語り合った。

コロナ禍で礼拝の本質を考えさせられた

 

司会 1974年に京都で第1回が開催され、今回7回目を迎える伝道会議ですが、初期は福音派のアイデンディティーである「聖書信仰」がテーマに据えられ、それを土台に21世紀に入ってからは具体的な宣教協力を目指してきました。今回のテーマは、「おわり」から「はじめる」宣教協力、と大変キャッチーです。

 

中西 「おわり」とは第一に、教会が置かれている、今やらなければ後が無い状況としての「正念場」であり、そこを見つめ直します。

第二に、教会の完成として神が定めている「ゴール」であり、そこを見失ってはならない。

第三に、開催地域の一部である「尾張」で、各自が置かれた宣教の地「自分の尾張」から出発することです。

「はじめる」とは第一に、教会の習慣文化を見直し、捨てるべきもの終わらせるものを見極めます。

第二に、社会の変化とその課題に目を向けて、新たに宣教の働きを「はじめる」時とします。

第三に、コロナ禍を宣教の転換点として新たな取り組みを「はじめる」ことを意味します。

現在も続くコロナ禍は、礼拝、信仰生活の本質を考えさせられ、日本宣教を見直すきっかけとして、神が与えてくれたものだと思います。

 

宣教協力は地域教会から

 

司会 今回の開催は、広く東海地区として受け入れていただきました。

羽鳥 当初「名古屋で」というお話もありましたが、東海福音フェローシップという宣教協力を育んできた地域としては、引き受けるなら東海地区がふさわしいだろうということになりました。

ただ東海地区と言っても、それぞれの地域に宣教の歴史があり、今回の会場は岐阜です。宣教協力はそれぞれの地域教会から始まると理解しています。その中で今回のテーマがより良い形で実りのあるものになりつつあると実感しています。

司会 そのテーマのもとに、開催地委員会としては、「神の国のインフルエンサーとなる」というビジョンを掲げています。

内山 具体的には、
1共に主を喜び、主に礼拝をささげる
2主にゆだねられた東海地域の宣教協力体制を築く
3神の国に生きることで社会に影響を与えていく
の三つです。

そのためにクリスチャンが横につながることを考えます。大会前日(9月18日)は祝日ですので、そこでフェスティバルとして、バンドやクワイヤー、ゴスペルなど音楽を中心とした集会を持ち、クリスチャンが一堂に会して主を讃える。音楽だけでなく、夜には食事会を持って、つながりを作り、ネットワークを広げていく。そして知り合ったお互いが、それぞれ置かれている場所でその賜物を用いて、社会に仕えていく。

そしてクリスチャンがつながるのは、礼拝でしょう。24日の日曜日の午後には、オンラインで多くの教会がつながって、礼拝したい。期間中の夜には祈祷会も。それと、東海地域の宣教協力部門を作って、会議後の地域宣教につなげたいですね。

 

信徒も牧師も、共通の課題に意見を出し合い

司会 宣教協力ということで、互いに仕え合うということが語られました。そのためには呼びかけも必要になるかと思います。

石田 今までの伝道会議の積み重ねは大きいです。その場限りで終わらずに、そこで生まれた交流がその後も続き、各種プロジェクトを設けることで、同じ重荷を持った人たちが継続的に活動を続けています。

地域の交流に限らず、教団のトップが知り合い近しくなることで、話し合いが進み、コロナ、高齢化、牧師不足と共通の課題を抱える中で、さらに具体的な地域教会同士の協力ができないか、JEAの中では教団間で話もできるような環境が整ってきています。

今はまだコロナのせいで直接会うことが難しいのですが、JEA以外の団体にも呼びかけ、さらには会議をきっかけに福音派以外の方々とも広く交わりが持てたらと願っています。

 

賜物を生かし合う出会いの場に

 

司会 個人レベルでのつながりに関しては。
中西 会議までの準備期間が大事と考えています。そこでつながり、当日には皆が知り合いになっているような。会場は長良川ですが、本会議も前後の集会もオンラインで配信します。その準備段階の話し合いはオンラインでもできます。

また今回は「宣言文(仮称)」の作成を、広く意見を求めて行うこととしています。各地で行う地区大会などでも意見を募り、話し合い、一人一人に自分ごととして考えてもらう。そうして出来上がったものを、会議で宣言する。

神戸で素晴らしかったのは『コイノニア」です。さらに今回は目的をはっきりさせて、学んだことの分かち合いや祈り合うスモールグループと、一緒に行動を起こしていくアクショングループを考えています。

福島の宣教フォーラムでは、神学生の費用を主催者負担とした。同じようなことができないか。大学生や高校生にも場所と機会を提供する。小学生や中学生も巻き込むことを考えていて、「こども伝道会議」のようなアイデアも出ています。友だちに伝道するのに熱心な子もいますから、彼らの本音をぶつけてもらうような。

それにやはり、信徒の参加ですね。そのために祝日のある週を選んで本会議の前後が休日になるようにしました。オンラインの参加も可能です。すべての都道府県から参加者が与えられるように。一人一人の賜物を生かし合う、そのための出会いの場となることを願っています。

 

教会の存在意義が問われ、求められる自立した礼拝者

司会 今回のテーマを設定するにあたっては、今教会が正念場におかれているという認識が示されました。確かに教会は様々な危機に直面していると思わされますが、具体的にどのような状況にあると考えてらっしゃいますか。

羽鳥 開催地委員会としては目指すビジョンとして 「神の国のインフルエンサーとなる」を挙げました。個人的には、そうなっていないのでは、ということが危機感としてあります。本来キリスト者は、地の塩、世の光です。そうして社会に影響を与えていくはずです。

今まで先延ばしにしてきてしまったことが、コロナ禍で礼拝も思うように捧げられないような状況で、急に目の前に突きつけられたようです。でもそれは恵みの中で実践していく事柄であることに目を向け、それを教会として行う。

宣教ができない閉塞感はありますが、それでも求道者、新来会者が起こされていることに神様のみ業を見ますし、神様は今までもずっと行っていらした。その気づきから、私がしなければという意識が生まれ、正念場だと考えています。閉塞感は人間のものです。イエス様は着実に宣教の業を進めている。お前も覚悟を決めろと迫られているような思いです。

 

内山 コロナだけでなく、戦争もそうでしょう。今までの平和の考え方が破られた。価値観が揺らいでいる中で、教会の存在の意味が問われている。このままの教会では、この変化に対応できないと、神様が変革を促しているのではないでしょうか。

そこで伝道会議に期待することは、私たちが福音に対して、改めて確信を持つことです。日本を変える、神の国を実現するゴールは間違っていない。そこに向かって導かれるのは神ご自身であり、福音に対する信仰をもう一度皆で確認することができればいい。

そのために私たちは変わらなければいけない。特に牧師と信徒の関係を横の関係にし、共に福音のために労する仲間であることを確認したい。会議には多くの信徒が参加することを願っています。主体的な参加が、神の国の実現に参与することにもつながり、それによって教会も変わっていくことを期待しています。

 

中西 コロナ禍は教界のリセットになりました。神が考え直せと迫られている。対応せざるを得なくなって始めた礼拝のオンライン配信ですが、気付かされたのは、今まで教会に集まっていたのは強い人、健康で、時間が取れて、人との関係も良好なひとではなかったか、ということ。その一方で礼拝に出られない人がいたということ。でも、その人たちにも礼拝の道が開かれた。それが新しい、世界に向けてのこれからの教会の方向性を出していくことになるのではないでしょうか。

さらに正念場とは、次世代。彼らがどんな風に育ち、これから共に働いていけるか。そこには神学校教育も大きな課題としてある。神学校教育の協力を考えるプロジェクトが必要か。彼らが神学生の時に知り合い、交わることで、卒業後の協力が進み、その彼らが教団内で責任ある立場になれば、より大きな協力も実現するのでは。

 

共有できるものを見出して協力する

 

小平 教会に集まれなくなったことで、今まで伝道とは人を教会に連れてくることだったのに、そこも変わったのではないでしょうか。信徒たちが、それぞれの日常の生活の場で、自分の生き方と言葉を通して福音を証しすることが問われている。家で礼拝をささげるといっても、部屋でただ配信を聴いているというようなことではなくて、文字通り「礼拝をささげる」ことができているだろうか、本質的なことが一人一人に求められているでしょう。

羽鳥 礼拝の本質を考えろと言われているような気がする。終末に向けて、神が教会を整えようとしているように思えますね。

石田 教団の代表者からは、教会の閉鎖、合併の話をよく聞く。オンラインで兼牧が可能になったようでも、実際には複数の責任。その困難ゆえに閉鎖が進んでいる。その実態の中で、教団教派を超えた協力ができないか。違いではなく、共有できるものを見出し、協力すること。一つの地域に無牧の教会が複数あるよりは、牧師がいて地域の人々が集まり協力できる教会が一つある方がいいと思っています。伝道会議ですぐにとはならないだろうが、きっかけとなるようなアプローチができればと願っています。

 司会 今日はどうもありがとうございました。

(クリスチャン新聞2022年4月17日号別刷り掲載記事)