新型コロナ禍も3年目に入った。7月23日には、日本全国で20万人以上の感染者が確認され、1日としては過去最高を記録。専門家たちは「すでに第7波に入った」との認識を示した。そんな中、「信州夏期宣教講座2022年エクステンション」(同実行委員会主催)が7月18日、埼玉県さいたま市大宮区の改革派・大宮教会の会場とオンライン併用で開催。野寺博文氏(同盟基督・赤羽聖書教会牧師)が「疫病と教会の歴史」をテーマに講演した。

野寺氏は、疫病は人類の歴史に宿命的な課題であり、この問題への理解を深めることは、今後の宣教に必要な努力だと思ったとし、「疫病の究極の原因は神によるということ。ただし、そこには神の裁きという側面と神の恵みという側面がある」と語る。

「前者については、一体何が神に裁かれているか、という問いが考えられる。だが、それについては最終的には分からない」と言う。「8世紀にコンスタンチノープルで起こった疫病をめぐっては、神の裁きという認識では一致するが、イコン崇拝への神の裁き、イコン崇拝者を迫害する帝国への神の裁きと両方の主張があった。最終的に何が裁かれているのか判断するのは、昔も今も極めて難しい課題であり慎重を要することだ」
疫病には民族大移動や奴隷貿易、戦争などで、人が持ち込んで拡大させるという人災の側面もあることや、人と国を滅ぼすのに加えて、パニック、差別の助長、同調圧力をもたらしてきたとも指摘。「新型コロナが流行し始めてしばらくの間、政府の自粛要請を超えて自粛警察が取り締まるようになった。教会も自ら進んで礼拝や集会を自粛し、そうしないとおかしな教会呼ばわりする者も出て来る。さながら戦時中の教会のようだった」

講演する野寺氏(右)

一方、疫病がもたらす良い影響についても触れた。「疫病はどの国や地域にも昔から存在する。だが、一度感染して免疫を獲得すれば、今度は免疫のない外敵から身を守る盾となる。また、疫病が衛生を発展させて社会を改善してきた事実は重要だ。特に囚人、病人、貧しい人など、社会の底辺に生きる人たちに光を当て、彼らの生活環境を改善し、健康を増進し、病気を予防する『衛生』という新たな観点から、個人生活と社会環境を改善してきた」
「疫病は戦争に歯止めをかけた。19世紀のクリミア戦争では、イギリス兵の赤痢による死者は戦死者を上回っていた。11、12世紀の十字軍遠征が失敗に終わったのは、敵と戦う以前にマラリア、赤痢、壊血病という疫病により多くの兵士が死んだからと言われる。1918年のスペインかぜの第二波は第一次世界大戦の終結を早めたと言われる」
「新型コロナは新自由主義政策への警鐘となる。政府はグローバル企業の利権確保に自衛隊を海外派兵し小さな政府を目指す。医療費削減で感染症対策費(病床と保健所、高度救急医療)を極度に減らした所にコロナが襲って医療崩壊する。コロナは国策の中枢を直撃したのだ」
「疫病の中で、宣教は大きく前進してきた」とも強調する。「初代教会は疫病の患者をよく世話した。感染を恐れず信仰の家族を介抱した。主の命令を忠実に実行する彼らは『クリスティアノス(キリスト者)』と呼ばれるようになる。3世紀初頭に活躍したカルタゴの司教キプリアヌスは、キリストを信じて死ぬ者は永遠のいのちの救いに至るのだからむしろ喜ばしいと天国の希望を語り、疫病下で福音宣教は大きく前進した。4世紀のローマ帝国によるキリスト教公認へと至った。14世紀、黒死病が流行し、ヨーロッパの人口の3分の1が死んで既存の価値観が崩壊する中、イングランドの神学者ウィクリフのグループを中心に人々は真理を求めて自分で聖書を読んで学ぶようになる。その流れがボヘミアの改革者フス、宗教改革者ルターへと引き継がれていった」
最後に「教会はどんな時代が来ても、たとえ疫病が地球を覆っても、主から遣わされた自分たちの福音宣教の務めを怠ることなくしっかり果たしていくべきだ。主は疫病を通して人の罪を警告し、戦争を止めさせ、社会を改善し、救いを求めさせる。教会には、どんな時にも主の御言葉を宣べ伝えて主の栄光を現すという、この世で何にも代えがたい最高の務めが主から委ねられている」と結んだ。

クリスチャン新聞web版掲載記事)