単純化せず粘り強い思考を

 

世界の緊張関係の中、日本でも具体的な国防が議論されている。
「平和をつくる教会」をテーマにした神戸改革派神学校第44回夏期信徒講座が7月に開催された(7月24日号で一部既報)。この中で豊川慎氏(関東学院大学准教授、湘南恩寵教会長老)は「キリスト教平和学から考える国防論」と題して、平和学の視座を紹介し、キリスト教会からの応答を試みた。「戦争か平和か。国防は大切なことだが、軍備増強だけがすべてではない。ものごとを単純化せず、矛盾するようなことを粘り強く考える地道な知的作業が大切」と言う。

 人間らしく生きることこそ防衛目標

 

平和学は第二次世界大戦後、東西冷戦の緊張が高まる中、1950年以降に様々な専門家が知見を集める学際分野として確立された。伝統的に戦争と平和は二項対立のようにとらえられてきたが、その認識を変えたのが、「平和学の父」と言われる、ヨハン・ガルトゥングだった。

平和は、戦争やテロなどの「直接的暴力」がない状態(消極的平和)だけではなく、貧困、経済、格差、差別、環境破壊、人権侵害などの「構造的暴力」がない状態(積極的平和)を求めるものとなった。「日本にも、被差別部落、少数民族、在日外国人への差別、沖縄基地問題など構造的で見えなくなっている暴力が存在する」と豊川氏は指摘した。

平和の多様な要素を確認し、「領土ではなく、人間らしく生きる理念と社会的生活様式こそが防衛目標」という政治学者の宮田光雄氏の言葉や「人間の安全保障」の概念を紹介した。

一方日本の軍事的安全保障に関して、2015年に安全保障法制による、憲法9条の形骸化、今年4月の自民党安全保障調査会提言などでの専守防衛を踏み越える内容、防衛費をGDPの2%まで増やすという議論に警戒した。防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」についても、「学問の自由が侵害される」と危惧した。

 

世界の教会は

 

世界のキリスト教会については、米国キリスト教連合協議会は、1946年の第一次答申において、日本への原爆投下について、非戦闘員への無差別殺傷のため「道徳的に弁解の余地のないことで一致した」。一方50年の第二次答申では、同盟国への核兵器や同等の破壊兵器が使用された場合、報復のために「アメリカ政府が核兵器を用いることも正当」と核兵器使用を肯定した。

第二バチカン公会議(62~65年)の『現代世界憲章』では正当防衛権を認めつつ、戦力の使用が「いつも正当化されて、すべてのことが許されるわけでもない」とした、、、、

2022年8月14日号掲載記事)