【特集】「コロナ世代」に何が必要か 失うという経験を通して見出す光 新潟聖書学院 院長 塚田 献
新型コロナ感染拡大から2年が過ぎた。多くの学生にとって、学校生活の大半をコロナ禍の「新常態」で過ごしてきたことになる。その影響下の学生を「コロナ世代」と呼ぶこともある。対面授業、行事、交流、活動の機会が縮小された現実があるが、今後どのような影響を与えるか。若い世代にどのようなフォローが必要か。さらにこの状況下で見えてきた新たな可能性、希望とは。
☆闇の中でこそ光を放つ 「聖書」を礎とする幸い 金城学院高等学校 宗教主事 沖崎 学
☆つらいことばかりではない 「あなたと共にいる神」の希望 大阪女学院中学校・高等学校 副校長 山﨑哲嗣
失うという経験を通して見出す光 新潟聖書学院 院長 塚田 献
新型コロナウイルス禍にあって、2年以上の歳月が過ぎました。その間世界中で謳歌(おうか)されてきた自由が制限され、日々いのちの危険から身を守ることが最優先とされる誰もが想像もしなかった社会を経験してきました。今もウイルスの猛威は収まらないまま、それでも社会は以前の生活を取り戻そうと何とか動き始めています。ただこの期間に失われてきたものの影響は大きく、この後にやってくる世界がどのようなものになるかわからない不安の中に誰もがいます。
若者たちの危機
このような経験の中で一番影響を受けているのが、中学生から大学生までのティーンエイジャー世代と言われます。人格を形成していく大事な時期に、当たり前のように持つことのできた経験ができないとなると、人生のすべてが失われたような絶望の淵(ふち)に突き落とされた思いになるのは当然のことだと思います。
多くのものを失ったことに失望し、先の見えぬ未来に希望を見いだせない状況に向き合っている彼らの叫びに耳を傾け、様々なかたちでの励ましとサポートを与えていく必要があります。ただこのような特別な経験をすることになった「コロナ世代」の若者を、単に不運な可哀そうな人たちと見ることは適切ではないと思うのです。また彼ら自身、自分たちをそのように決して見てほしくないと願っています。なぜなら彼らの今の経験が、真の生きる意味と人生の目的を見出す機会となると思うからです。
新潟聖書学院本館
幻想的な夢の世界と現実の世界
コロナ禍が私たちに突き付けたのは、私たちの生きる世界の現実です。その現実とは、私たちは「生」と「死」を常に隣り合わせにした世界に生きているということであり、それがある特定の人たちだけでなく、誰もが同じくリアルに迫って来たのでした。このことは私たちの「いのち」がどのようなものであるかを再認識させるものとなりました。
現代の有り余るほどの食べ物や様々な技術、医療の発展の中で、私たちはいのちが当たり前のように生き続けるものであるとの錯覚に陥り、自分の立てた人生設計は、おおかた計画通りに成し遂げられるという人生観を持っていたのではないでしょうか。しかし突然、明日のいのちに対して何の保証もない世界が目の前に現れ、人のいのちとはいかにはかないもので、人の描く人生設計がいかに不確かなものかをあらわにしたのです。
このことは一方で、いのちに対する新たな認識を私たちのうちに生まれさせます。聖書では「あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です」と述べています。これは刹那的な人生観を意味しているのではなく、かえって「主のみこころであれば、私たちは生きて」という、神に生かされてある「いのち」と神の計画と目的を持つ人生観を示しています。
捜し求める旅路
聖書を見るときに、神からの希望のメッセージは最も暗闇が迫るようなときに届けられることがあります。神がご自分の民にご自分の計画を示し、「それはあなたがたに希望と将来を与えるためのものだ」と言われたときもそうでした。そのときに、神が民に求めたことは、「あなたがたがわたしを捜し求める」ことでした。そうするならば、「わたしはあなたがたに見出される」と約束されます。
自分自身が持っていた希望が打ち砕かれ、失望を経験するときに、それでもなお私たち一人一人の人生には、神の平安の計画があります。それはまさに自分のいのちを生かしておられる神を見出す機会となるのです。確かに、多くのものを失ったという経験からは負の部分しか見えないかもしれません。しかし自分が心の深くに望んでいたものが何であるかを捜し求めていくならば、もっとも価値ある「宝」を見出す人生の旅路になると思うのです。
最も価値あるものの再発見
この夏、本学院を含む新潟聖書学園の働きである聖ヶ丘バイブルキャンプが三年ぶりに対面で行われました。主を求めて多くの若者たちがやってきました。困難の中で、それぞれの自分の人生を一生懸命に生きようとし、互いに励まし合う彼らの姿に大きな励ましと希望を見ました。また5年ぶりに親友の家族と再会しました。高校2年になった娘さんが、自分が大事にしていることばを記したノートを見せてくれ、そのことばの中の一つに「I want to be a person who can love my true self(本当の自分を愛せる人になりたい)」というものがありました。自分の人生に向き合う姿がそこにありました。
これまでの世界は「Dream comes true(夢の実現)」を最も価値あることとして提示していたのだと思います。しかしそれが打ち砕かれようとしている今、最も価値あるものを再発見するチャンスのときでもあるのです。若者のいのちを生かす神と出会うことと、その神のことばによって生きるという最も価値ものに見出していってほしいと心から願います。そしてその助けをしていく責務を担っていることを、先に生きている者として自覚していきたいと思います。
(2022年09月18日号別刷掲載記事)