90歳で急性心筋梗塞で急逝ーその生の閉じ方はある意味、福井達雨さんにふさわしい召され方であったのかもしれない。

今から40数年前、同志社大学の指導教授・佐野安仁教授に引率されて見学した止揚学園はカラフルで朗らかな空間だった。話に立たれたリーダーの達雨さんの話は饒舌(じょうぜつ)で哲学的だった。やさしい言葉で深い真理を語られていた。学園での日常の出来事・障害をもつ人たちとの生活の具体的な出来事。その中にある意味合いはとても深く、福音と響き合うものであった。

そのため衝突も多かった。行政と闘い、地域と闘い、キリスト教界と闘い…、闘いの中で、障害をもつ人たちから癒やしと真理を教えられてエネルギーにされているように感じた。「祈りは行動である」という言葉を実践されていた。

障害者の表現を大切にされ、絵本を生み出し、ユニークな貼り絵を制作し、職員の方と歌をつくり、海外旅行に挑戦し、その活動の幅の広さと先見性は確実に世の中を明るくするものだった。求められた色紙には太いマジックインキで大きな字を書き、インドや韓国の海外にも講演に呼ばれ、風邪をひかぬようにマスクをされていた姿が印象深かった。

達雨さんが育まれた近江兄弟社の一柳満喜子の教え「無から有を生み出す」「友のために命を捨てる」生き方を全うされたのだと思う。  福井達雨さん、お疲れ様でした。いっぱいいっぱい有難うございました。天国でまた朗らかに笑い歌い、踊り、楽しんでください。

クリスチャン新聞web版掲載記事)