「日本に住む外国人と共に生きる」テーマに福田氏 「諸国民導く主の願う方向へ」 第11回首都圏宣教セミナー

「第11回首都圏宣教セミナー」(ОCC首都圏宣教推進協力会主催)が11月12日、東京・千代田区神田駿河台のお茶の水クリスチャン・センターで開催され、90人が参加した。テーマは「日本に住む外国人と共に生きる教会」。発題講演では、福田崇氏(JECA・宣教教会宣教師、日本ウィクリフ聖書翻訳協会聖書活用・宣教協力担当スタッフ)が、「共に生きておられる神様の道を歩む」と題して講演した。【中田 朗】

「『共に生きる(共生)』という課題が大事であることを理解するのは容易だが、それを自らのうちに深く受け止めるのは容易ではない。本日は、この課題に向き合ってみたい」。福田氏は最初にこう述べた。
福田氏は、神は人と協働して被造世界を治めるために人を創造されたこと、聖書では弱い立場の人々への生き方について述べ、「主は孤児と寡婦の権利を守り、よそ者を愛して食事と衣服を与えることを愛される。だからよそ者を愛しなさい」(申命記10・18、19)を引用し、在留異国人との共生の大切さを強調。「『福音宣教が困難なイスラム教、ヒンズー教の人々がすぐ近くに住んでいる。世界宣教は日本でできる』との声も聞かれるが、外国人を単なる伝道対象と見るのは論外。それは外国人技能実習生を、単に労働力として見、家族も将来もある人として見ないのと同じ。周りにおられる外国の人たちを福音の光でどう受け止めるか、考えたい」
一方、日本にはアジアへの蔑視があるのではないかと指摘。「ウクライナ避難民への破格の待遇に違和感を覚える。同じく内戦状態、戦争状態の中から逃れてきたミャンマー、スリランカ、イラン、イラク、アフガニスタンなどのアジアの人々に対する姿勢は厳しい。それは入管の外国人への対応にも現れている」

福田崇氏

「カトリックの宣教修道会は、『キリストにある』ことを大事にしている。主に結び付いている兄弟姉妹という受け止めだ。私たちクリスチャンは、キリストにあること、キリストにつながっていることをどう深めればよいのか、文化・伝統・所作・習慣の違いとどう折り合い寛容さを養えるか。これらは『外国人と共に生きる』ことを折り込み、それだけなく、様々な障害や課題を抱えて生きている互いをどう歓迎し、一緒に生きていくか、ということとも深く関わっている」
その上で、実際的な提案をした。第一に、ミニストリー・グループ(ヘルプ・デスク)。「私たちの家族が住み、母教会のある世田谷西部は、外国人は多くない。だが時々、礼拝に来られる。その時に重荷が与えられている人、英語ができる人などが小グループを作り、月一度の交わりをもち、質問に答えていた」
第二に、言語別礼拝。「一教会で別々の礼拝をするあり方。役員会や財務を別にしている教会もあれば、一つの教会もある。別の外国語で礼拝する教会が会堂を借りるケースもある。会堂を異文化教会に使っていただく場合は、双方がよく理解し、約束することが大事だ」
第三に、多言語礼拝。「一つの礼拝をしているが、週報もいくつかの言語で書かれており、司会も説教もいくつかの言語でなされている。通訳機器を備えている教会や、NGОスタッフの信徒が外国の人たちに寄り添うこともある」
「今の日本の島々には、いろいろな方面から人々が移住し、住み着き、ゆるやかに文化が形成されていった。教会も、様々な文化・宗教を背景とする人々との交流、善意の人々との協働に従事すべきだ。主は諸民族からなる一つの群れを導いておられる。私たちは、主が願っておられる方向性を間違えずに歩みを続けていきたい」と結んだ。
午後は、横山好江(ОMFインターナショナル・ディアスポラ伝道主事)、横山誠(戸田福音自由教会牧師)、阿部頼義(グレースガーデンチャーチ牧師、難民医療支援会代表)の各氏が登壇した。

クリスチャン新聞web版掲載記事)