「母の聖戦」ポスター (C) 2021 Menuetto/ One For The Road/ Les Films du Fleuve/ Mobra Films

中南米メキシコでは、犯罪組織による身代金目的の誘拐ビジネスが横行し、国立統計地理情報院では年間約6万件に及ぶ誘拐事件が頻発していると推定されている。1月20日公開の映画「母の聖戦」は、ある日、一人娘を誘拐された母シエラが、届け出ても捜査しようとしない治安当局を頼らずに娘を取り返そうと実行犯を追い詰めていく物語。実際にわが子を誘拐された母親の証言に触発されて「子どもを誘拐され親たちの気持ちに寄り添いたいと願い」本作を脚本・監督したテオドラ・アナ・ミハイ監督に話を聞いた。

↓ ↓ 映画「母の聖戦」レビュー記事 ↓ ↓
https://クリスチャン新聞.com/?p=39084

愛娘の救出に奔走する母親の決意
メキシコの誘拐ビジネスの闇に迫る

――東京国際映画祭2021では特別審査員賞を受賞されました。その時の上映タイトルは「市民」(La Civil)でした。今回の劇場公開の上映タイトルは「母の聖戦」ですが、それぞれのタイトルに、どのような意図と感想をお持ちでしょうか。

ミハイ監督 英題も「市民」(The Civil)でしたが、英語の定冠詞に格変化はありません。原題は、女性の市民を示す“ラ・シビル”で、母親と子どもの関係性が強く表現されています。また、「市民」はメタファーに富んだ表現です。時として市民は、警察や司法がやるべきことを(本作のように)自分でやらなければならないか、または、泣き寝入りするのか、そうした悲劇的な情況を生きています。そのような場合、往々にしてその悲劇を味わうのは女性であり、母親であるということを原題タイトルで表わしました。日本の観客のために表現された邦題タイトルは、本作のテーマの一つ、母と子どもの関係性は、どのような世界であっても“聖なるもの”であることを表現していると思います。

主の御名を使って心の動揺を謀る
悪賢い犯罪者らとの“霊的な戦い”

――聖戦という表現には、互いの戦闘イメージが思い浮かびます。一方で、本作の主人公シエロ(アルセリア・ラミレス)に、最も聖戦的に闘う姿が観られたのは、逮捕された実行犯プーマ(ダニエル・ガルシア)と彼女が拘置所内で対面した時に感じられました。プーマがシエロに「俺に恥をかかせたお前は地獄に堕ちる」と責め立てると、シエロは母親が子どもに注ぐ愛情を踏みにじったと反論してプーマと対峙する。いわば、“霊的な闘い”という意味では、誘拐をビジネスとする闇の力に対するシエロの聖戦を強く感じさせられました。

テオドラ・アナ・ミハイ監督プロフィール
 チャウシェスク政権下のブカレスト生まれ。1989年、前年からベルギーに逃れていた両親の元に移る。カリフォルニア州のサンフランシスコの高校に通う間に映画への強い愛情が生まれ、ニューヨーク州北部のサラ・ローレンス大学で映画を学ぶ。ベルギーに戻り映画業界でキャリアをスタート。2014年に脚本・監督したドキュメンタリー長編映画「Waiting for August」を発表し10以上の国際的な賞を受賞。以後、「ALICE」(2016年)、「THE PACKAGE」(2019年)などドキュメンタリー作品を発表し高い評価を得る。ヨーロッパを代表する映画監督ダルデンヌ兄弟はじめ著名な映画製作陣が共同プロデュースに参加し、ミハイ監督自身初のフィクション長編映画が完成した。

ミハイ監督 興味深い質問かと思います。ちなみに「シエロ」とはラテン語で「天」とか「天国」を意味する言葉です。この映画は「天国」という名前を持つ人が地獄を体験するというメタファーでもあるのです。実行犯プーマとの対決場面ですが、プーマは悪賢くて、神という言葉を使えばシエロにどれほど負担を感じさせ、インパクトを与えるか、彼女の心を操作する術(すべ)を発揮しようとしています。また、メキシコの犯罪カルテルやイタリアのマフィアなど、いわゆる悪に手を染めている者たちが実は信心深い生活をしているというパラドックスを生きているのが、人間の在り様でもあるのです。

――ドキュメンタリー映画を撮って来た監督にとっては初のフィクション作品ですが、日本の観客にどのように届いてほしいですか。

ミハイ監督 アーティストにとって作品が一度世に出した後は、その作品がそのまま生きるに任せるしかないですね。結局は、観る方の経験によるので自由な感性で観ていただくのがいいです。あえて一言添えるのなら、心理学でいうレジリエンス(困難な情況からの回復能力)が、本作のテーマの一つのとして興味深いかと思います。シエロがさまざまな情況を通してレジリエンスを経験し、人間として非常に強くなっていく情景が、この映画の一つの見どころと思います。

反社会的な力に対しても
みんなの努力を続けるのが大事

――エンドロールでは、本作のシエロと非常によく似た経験をした本作のモデルの一人ミリアム・ロドリゲス(誘拐された娘を取り返すため数年間にわたって実行犯を追い続けて犯行グループの10人を警察の意逮捕させた実在の女性。だが彼女は2017年に犯罪組織に銃で殺害された)に捧げる謝辞が記されています。この悲劇と本作はメキシコ社会にどのような影響を与えましたか。

ミハイ監督 この作品が、社会的な影響に関わってほしいという思いは、理想としてあります。しかし、残念ながら私の映画は、本当に多数のアーティストや活動家が、いま行動している動きのほんの一つに過ぎません。例えば私の映画が影響を与えて、社会の流れが変わったとかいうまでの変化や、政府がなにか態度を改めたというような話はないのです。
でも、みんなの努力によって、(反社会的な出来事に)圧力としてを高まっているように思いますし、続けることは必要だと思います。例えば、本作のような作品に映画批評が出るとか、あるいは暴力行為が報道がされるとか、そのような動きをみんなで続けることによって、最終的には影響力へとつなげていくのは大事だと思います。ですから、アーティストとしてはこうした作品のような映画とか、ありとあらゆる芸術活動とかを続けていくことが大事だと思います。
主人公シエロ役の女優のアルセリア・ラミレスさんは、出演後にメキシコ大統領と会見する機会があって、本作の話などもしたそうです。有名な女優さんですし、メキシコでもたくさんの方々に観ていただけたというので、それなりに影響はあったのではと思います。私のこの作品が、少しでもメキシコの社会に影響があったということなら、とても良いことだと思います。

――ありがとうございました。 【遠山清一

映画「母の聖戦」】2021年/135分/ベルギー=ルーマニア=メキシコ/スペイン語/映倫:G/原題:La Civil 配給:ハーク 2023年1月20日[金]よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開。
公式サイト https://www.hark3.com/haha/