碓井 真史 新潟青陵大学大学院教授/心理学者

事故は焦りと疲れの中で発生する。24時間稼働の病院や工場では、疲れがたまる明け方前の事故が多い。航空機事故や列車事故の多くは、運行に遅れが出ている中で起きている。パイロットや運転士の焦りが、事故を生むのだ。これは、様々な組織や家庭内の不適切な行動、不祥事にも言えることではないだろうか。
子ども虐待の多くも、最初から子どもが憎かったわけではない。子どもたちには良い名前がついていて、テレビ報道に映る玄関には、可愛い三輪車があったりもする。ましてや、極端な勉強の強制による「教育虐待」、宗教活動への参加を体罰で強制するような「宗教虐待」は、少なくとも最初は子どもへの愛が動機だろう。だが愛が動機だとしても、心の余裕を失えば愛は空回りし、行動は暴走する。
一部のカルト宗教は、子どもへの虐待を加速させる。良い家庭にしたいと思って入信したはずなのに、集会中に子どもが少しでも騒げば容赦なくムチが飛ぶ。第三者が見れば、明らかにひどすぎる体罰だが、その宗教内では普通だ。最初は抵抗感を感じる親も、次第に周囲に染まっていく。他の子が打たれるムチ音を聞きながら、「良い音ね」などと笑って楽しくおしゃべりする親たちのできあがりだ。
そんなひどいことは、伝統的な教会内では起きないだろうか。しかし、残念ながら教会内でもトラブルは起きる。「カルト化」も起きてしまうことがある。ある教会内の「普通」が、他教会の常識からも社会規範からも大きくずれることもある。
今、愛にあふれ伝道熱心な信者たちが集まっていたとする。素晴らしい教会だ。そこでさらに信者が増えていく。ところが、人数は増えたが教会全体の一致や熱心さは薄れていく。牧師は祈りと努力を続けるが、思ったような成果は出ない。牧師は疲れ、焦っていく。熱を込めた説教を語り、次々と新しいムーブメントを取り入れる。それでも一致を熱心に語るほど、牧師を絶対視する信者と違和感を持つ信者が生まれ、かえって一致は崩れていく。
子どもに勉強させたい親が、「勉強しろ」と強く言えば言うほど、子どもが反発したり無気力になったりするのと似ている。動機は愛だが、効果は出ず、さらに強制力を強めすぎれば、教育虐待、宗教虐待、そしてカルト化の第一歩だろう。

愛をもって大切に育て、神を信じ結果をゆだねる

勉強させたい、強い信仰を持ってもらいたいと願う。本人たちも、本心ではそれを望んでいる。そんな時こそ、愛の押し付けではなく、、、、、、

2023年03月12日号   03面掲載記事)