メロディ会のつどい

 

賛美の道具にならせてください

活動30周年を迎えた福音歌手、森祐理さんの記念コンサート「森祐理 福音歌手30周年記念スペシャル」が、6月3日(土)午後2時(開場1時半)から、大阪府茨木市の茨木市福祉文化会館で開催される。

今まで日本全国はもとより、世界各国で歌ってきた。飢餓に取り組むハンガーゼロの親善大使として、アジア、アフリカの貧困地域や、災害被災地等にも歌を運ぶ。昨年8月にはウクライナの避難民の元に、支援物資と歌を携えて渡航した。

歌は「心の救援物資」だと、この30年で深く感じてきた。どんなに食料や物資があっても、それだけで人の心は満たされない。音楽は人々の凍った心を解かすことができると、確信してきた年月だった。30年の節目に、賛美でキリストを伝える「モリユリ・ミュージック・ミニストリーズ」の主宰者として、さらなる前進を期している。

 

メロディ会の祈りが支えるミニストリー


学校でボイスレッスン

記念コンサートのプログラム1部は、今年番組開始9年目となるラジオ関西「モリユリのこころのメロディ」の、放送450回記念公開収録、2部は「感謝コンサート」となる。ゲストにシンガーソングライターの岩渕まことさんを迎える。

祐理さんのコンサートでは、多くの人が涙ぐむ。美しい歌声と旋律に乗せて、ことばが直接魂に響くようだと評した人もいる。誰もが内に持っている心の傷跡に手を当てて、癒やしを祈るような歌声なのだ。

その歌声に癒やされ、歌声を愛してやまない人々が「メロディ会」の会員として祐理さんを支えている。会員は海外も含めて約千人。発足のきっかけは、「モリユリと行くイスラエルツアー」だ。祐理さんの賛美に耳を傾けながら味わう聖地の旅は大好評を博している。共に旅した人たちの中から、祐理さんの働きを支えたいという声が上がり、2000年に発足、徐々に賛同者が増えていった。

「メロディ会は、一緒に働きを担ってくださる活動の仲間です。『祐理さんのことを毎朝祈っています、それがメロディ会員の役目です』との言葉に励まされています。働きの土台は祈りです。祈りが力となり、神の御業を成していくと思います」

 

声と話し方を磨く「ボイス・レッスン」

コロナ禍となり、YouTubeなどでコンサートや証しを配信する中で、祐理さんは昨年8月、オンライン話し方講座「モリユリのこころのボイス・レッスン」をスタートした。芸大卒業後NHKの歌のお姉さんから、ミュージカルスターを目指して研鑽(さん)を積み、歌手となってラジオパーソナリティーも務める。「声」というものに向き合った30年。その経験と実践を交えた講座は評判を呼んで、ロータリークラブや学校から出張講座の依頼もある。口腔内老化(オーラルフレイル)予防にも、大きな効果が期待できる内容だ。

「声は人生のパートナー。健康のバロメーターでもあり、心と体と声は一致しています。声はその人の履歴書であり、喜びを持ってみことばを届けていくためにとても大切です」

せっかく福音を託されていても、話し方や滑舌が良くなければ、聴く人の魂に響かない。これからは、教会や神学校でも役立ちたいと願っている。

 

一粒の麦から生まれた希望の芽

福音歌手であると同時に、優れた伝道者だと、敬意を抱くファンは多い。歌い手は多いが、歌声そのものが福音として伝わる歌手はそういない、と。福音歌手としての歩みは1992年10月24日、東京・調布バプテスト教会のコンサートからスタートした。

「調布の教会で初めて福音歌手としてステージに立ち、歌い始めた瞬間に体中聖霊に満たされた体験をしました。雷に打たれたようなあの感覚は忘れられません」と祐理さんは振り返る。実は、教会で歌うようになったきっかけは、声が出なくなるという試練からだった。

ミュージカルの主役を射止めた矢先に、喉を傷めて歌えなくなったのだ。失意の中、スイスの集会に参加した時、そこで歌うよう依頼された。戸惑いと緊張の入り混じる中で、はっきりと心の耳で神の声を聞いた。

「わたしが歌う」
そのとたんに力が抜けて、歌があふれてきた。アメイジンググレースを歌いながら、「私を道具にして神様が歌われている」ことを体感した。「プレイズ・ザ・ロード!」歌い終わった後、会衆が立ち上がり、自分ではなく主を讃える姿を見た時、祈りがあふれてきた。

「賛美の道具にならせてください!」福音歌手としての召命の瞬間だった。「それからどんな苦しい時でも、いつも『わたしが歌う。大丈夫だ』という声に助けられてきました。賛美は自分の力で歌うのでない、神が歌われ、私はその道具になりたいのです」

 

苦しむ人々に伝えたい「本当の希望は天にある」

順調に歩み始めた頃、阪神淡路大震災が起こった。95年1月17日。死者行方不明者6千437人。当時戦後最大級の大地震だった。神戸大学の4年生だった弟の渉さんは、東灘区の下宿が倒壊して亡くなった。新聞社に就職が決まり、希望にあふれていた日々が突然絶たれた。姉が福音歌手になったことを喜び、前年のリサイタルではカメラを持って「初取材だ」と、応援してくれた。

祐理さんは天国の渉さんに押し出されるように、瓦礫(がれき)が残り、人があふれる避難所に、歌を携えて入っていった。音響設備もスポットライトもない急ごしらえの台の上で、賛美が人々の心に沁(し)み込むのがわかった。これが、その後各地の被災地を巡る歌の旅の始まりだった。

「弟の死がなかったら、被災地に行くことはなかったと思います。天国に行った弟を通して、災害や飢餓に苦しむ人々に、本当の希望は天にあることを伝える…。それがライフワークになりました」

あの日から28年。祐理さんは様々な被災地に歌を届け、犠牲者を悼み、被災者を慰める賛美を続けている。

「神様は命を無駄にはされません。弟は一粒の麦になりましたが、その証しを通し救われた魂は数えきれません。天国で『ありがとう』と言いたいです」

 

ウクライナから日本へ「平和でありますように」


ウクライナのリビウにあるブチフ小学校で歌った

昨年8月、祐理さんはハンガーゼロのウクライナ避難民支援の旅に赴いた。2006年に親善大使となって以来、各地の被災地や貧困地帯を訪ねたが、戦地は初めての体験。危険と隣り合わせの旅だった。

ポーランドからウクライナ西部の街リビウに入った。激戦地東部から多くの人々が避難していた。夫が戦死したという女性、爆撃で片足を失った女性ら、戦争で身も心も傷ついた人たちが、それでも明るく気丈にふるまっていた。妻と小さな子ども2人を置いて戦場に向かう若い父親の姿に涙があふれた。

小学校や教会の避難所では、祐理さんはウクライナ語を交えて歌った。これまでも、震災や水害の被災地で、歌が張りつめていた神経を緩ませ、極度の悲しみで涙も出なかった心を溶かすことができるのを体験してきた。歌には大きな力があった。

多くの避難民が口にする言葉は、「平和でありますように」。平和であってほしい、日常を取り戻したいという痛切な願いを受け止め、胸が痛くなった。現地の教会の牧師から、また来年来て歌ってほしいと言われた。その時は、戦争が終わっていますように。心から願った。

「30年の節目に神様が戦禍で苦しむ地を見せてくださったことは、大きな意味があると感じています。見せられた者は伝える責任がある。何よりも大きな救援物資は神の愛。神の愛こそが、世界に本当の平和を与えてくれると信じます。その希望を、福音歌手として使命をもって伝えていきたい。そう心に刻むことができました」

 

天国に行くまで賛美を捧げたい

「悲しみは悲しみで終わらない。その向こうにある本当の希望を伝えたい」
祐理さんの願いだ。30年の歩みを振り返れば「今はわからないが、後にわかるようになる」という神のことばを実体験してきたと思う。

「ミュージカルの道が閉ざされたことで、福音歌手への道が開かれました。弟の死を通して、天の故郷を伝えたいと被災地での支援活動が始まり、今も続けています。2013年に声が出なくなったことがきっかけでラジオ番組が始まりました。コロナ禍となりオンラインのボイス・レッスンを始めたのもそうです。神様は愛だから、試練は試練で終わらせない。神様のなさることはすべて時にかなって美しく、すべてを益と変えてくださると信じます」

歌を聴きたい人がいる。その人は悲しみや苦しみを抱えている人かもしれない。祐理さんはどんなに小さなコンサートでも、全身全霊で歌ってきた。31年目に踏み出した今年「イエス様の十字架の救いを届ける。それが私の使命です。天国に行くまで、命の限り福音の賛美を捧げたい。そしてそれが私の夢です」と、祐理さんは満面の笑顔で決意を語った。
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2023年04月09日号 06-07面掲載記事)
 
 

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