奥地の集落、歓迎する人を訪ね続ける


奥地の集落、歓迎する人を訪ね続ける

力抜き、御霊が導かれる出会いが楽しい

昨年5月末に奈良県南部にある黒滝村(人口:623人)で始めた「平安の子探し」も、はや1年が過ぎようとしています。現在も、ほぼ毎月1度は、県内の先生と教会員の方々で、受け入れ続けて下さる家々(7〜8軒)を3〜4人のチームに分かれて再訪問しています。より奥にある集落へも足を運び、新たに受け入れて下さるお家も無理のない範囲で起こされています。

冬の間は雪や凍結により中止せざるを得ない状況が続きましたが、その間もオンラインで集まり、村の方々を覚えて共に祈ってきました。決して焦らず、世代を超えて続けられていくことを願いつつ、導かれるままに楽しみ喜びながら取り組んでいます。そして4月22日に再開。なかなか会うことのできなかった友人のところへ行くような思いを持って、村へ向かいました。

ちょうど村長選の投票前日で、私がいつも訪れるご夫妻は選挙のお手伝いでお留守でしたが、他のお家では久々の訪問を歓迎してくださったとうれしい報告がありました。お庭に花を沢山植えておられる60代後半の男性のお家では、90代のお母様も初めて出て来られ、色とりどりのお花を一緒に楽しみつつ、話の流れの中、毎回訪れている先生からイエス様のお話しも聞いて下さり、いつものように一緒にお祈りをされました。また、村の奥にある集落に一人で住んでおられる関東から移住して来られた若い男性も歓迎してくださり、ゆっくりと久々の会話を楽しんだ後、仕事のことを祈って欲しいということで一緒に祈り、最後には声を合わせ「アーメン」と閉じたという報告も別のチームから聞きました。


再訪問したお家の方々と

形を考えず、今回はこれをしようとか、ここまで話せればというような計画も立てず、御霊の導かれるままに、力を抜き、流れのままに、そこで起こされることを楽しんでいます。

イエス様がご自分の行くつもりの町や場所に弟子たちを遣わされる際に「どの町や村に入っても、そこでだれがふさわしい人かをよく調べ、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしければ、あなたがたの祈る平安がその家に来るようにし…」(マタイの福音書10章11〜13節)と言われたことばを覚えつつ、平安を祈り、受け入れて下さるお家には留まり続けています。その中で「平安の子」に出会わせて下さっています。

私たちは、ただただ主のことばに、御霊の助けと導きをいただきつつ、出会わせてくださる隣人を愛しながら「平安の子」を見つけ出していくことに励んでいます。

昨年以来、さらに日本の各地で、同じように「平安の子」を探して町や村へ向かう足が起こされています。コロナ禍にあった数年を通して「教会へ集める」ことから「教会から遣わす」という伝道へと主が導かれていることを強く感じます。今後も祈りつつ、遣わされると共に、遣わす教会であり続けたい、そう願うばかりです。

2023年06月04日号 04面掲載記事)

 

□―――――――――――――――――――――――――□
【お知らせ】★週刊「クリスチャン新聞」がリニューアルしました!!★

☆新たな装い 今求められる情報を伝道牧会の最前線へ
☆紙面レイアウトを刷新 文字が大きく読みやすく
☆独自取材による特集企画で教会が今直面している重要テーマを深く掘り下げる特集企画
☆教会の現場の必要に応じた新連載が続々スタート

□―――――――――――――――――――――――――□

★「クリスチャン新聞WEB版 https://クリスチャン新聞.com/csdb/」(有料)では、
1967年創刊号からの週刊「クリスチャン新聞」を閲覧、全文検索(1998年以降)できます。