【追悼】サラ・ヤング氏 霊想書『わたしは決してあなたをひとりにしない』の著者
多くの霊想書の著者で、日本でも翻訳書が出版されているサラ・ヤング氏が、8月31日亡くなった。クリスチャニティトゥデイ誌9月15日の追悼記事を、転載する。
宣教師の妻の「傾聴する祈り」は何百万もの人々を慰め、霊感を与えた。
サラ・ヤング氏は、イエスの語りかけとして書かれた霊想書の著者であり、21世紀の福音派の中で最もよく読まれている著者の一人となったが、77歳で亡くなった。
日本人に仕える米国長老教会(PCA)宣教師の妻であったヤング氏は、ライム病や、複数の慢性疾患を患い、時には1日20時間、自室に閉じこもらなければならなかった。孤独の中で、彼女は「傾聴する祈り」を実践し始め、聖霊が語りかけているように思われることを書き留めていった。
「メッセージが流れ込んでくるようになりました。(中略)それで、受けた言葉を書き留めるための特別なノートを買いました。」と後にヤング氏は記している。「神様のことを黙想する中で、神様から個人的なメッセージを受け取り続けてきました」。
彼女の日記の中の数ページが、2000年代初頭にナッシュビルの女性の祈りのグループに紹介された。グループのうちの一人が、それを夫に分かち合った。夫はインテグリティ出版社のマーケティング担当副社長だった。インテグリティはヤング氏に、神から読者へのメッセージを1日一つ、1年間分書いてくれないかと依頼した。彼女は承諾し、それが2004年に『Jesus Calling(邦題:わたしは決してあなたをひとりにしない)』として出版された。
インテグリティがトーマス・ネルソンに吸収合併された後、さらなる販促活動が行われ、この書籍はエバンジェリカル・クリスチャン・パブリッシャーズ・アソシエーションの2009年のベストセラーのトップ10入りを果たした。その後も15年にわたり、毎月上位に留まり、最終的な販売部数は4,500万部以上に達した。2023年8月、『Jesus Calling』の販売部数はT・D・ジェイクス、リー・ストローベル、リック・ウォレン、ジョイス・マイヤー、ルイ・ジリオ、マックス・ルケードを上回った。
子ども版の『Jesus Calling(邦題:ジーザス・コーリング―バイブルストーリーブック)』も百万部以上を売上げ、ヤング氏のデボーショナルの続編2冊『Jesus Always(邦題:わたしはいつもあなたとともに)』と『Jesus Today(邦題:わたしの希望があなたを永遠に守る)』も同様となった。その他の2冊『Jesus Lives(邦題:わたしはあなたを最後まで愛する)』と『Jesus Listens(邦訳準備中)』は各50万部を売り上げている。
ヤング氏の霊想書は論議を巻き起こした。福音派リーダーの中には、聖書は現代人クリスチャンにとって十分であるという考え方を危うくするものだと、懸念を表明する人々がいた。あるいは、イエスの目線から文章を書くというのは、冒とくになりかねないと述べる人々もいた。だが、実に多くのクリスチャンが、ヤング氏の書くイエスの言葉に慰めと平安、そして励ましと霊感を見出した。
『Jesus Calling』は幅広いファンを獲得してきた。ヒップホップのプロデューサーであるメトロ・ブーミン氏は自身のソーシャルメディアに、マーカーだらけになったページの写真を投稿し、トークショーの司会者であるキャシー・リー・ギフォード氏は、自身の人生におけるヤング氏の霊的導きについて称賛した。
「ヤング氏の我慢強さと信仰には感嘆させられます」とギフォード氏は語る。「イエス様に対するヤング氏の心持ちを思うと、私は本当に謙遜にさせられます」。
Goodreadsというソーシャルメディアでは、書籍のレビューや評価がシェアされているが、そこでは『Jesus Calling』を読んだ人の85%が星4つ以上を付けている。
「この霊想書が大好きです」とテネシー州の女性は記す。「この1年、ほぼ毎日読んでいますが、今もこの本から平安を見出しています。美しく、慰めに満ちています」。
霊的戦いからラブリに導かれ
ヤング氏は1946年3月15日、ナッシュビルでサラ・ジェーン・ケリーとして生まれた。幼少期について、父は大学教授で、家族は米国南部に住んでいたということ以外、よくわかっていない。1964年、バージニア州リンチバーグのE・C・グラス高校を卒業した後、ウェレスリー・カレッジに進み、哲学を専攻した。さらに1974年、タフツ・ユニバーシティで児童研究に焦点を置いた教育学修士を取得した。
学術面での成功にも拘わらず、後に『Jesus Calling』の著者となるヤング氏は霊的戦いを覚えていた。まだクリスチャンではなく、哲学の授業から確信するに至ったのは、人生は結局無意味でばかげている、ということだった。やがて彼女はフランシス・シェーファー氏の『Escape from Reason(邦題:理性からの逃走)』に出会う。この本を通して彼女は思った。答がないと思っていた疑問に、答があるかもしれないと。真理を知ることができるかもしれない、しかもその真理は絶対的なものだと確信できるかもしれないと考えた。
この希望を抱いた彼女はラブリに向かった。そこはスイス・アルプスにあるシェーファー氏の福音研修センターだった。ヤング氏はここでイエスに出会った。カウンセラーは彼女に尋ねた。「あなたはクリスチャンですか?どんな罪を赦してもらう必要があると思いますか?」
「即座に、私にはイエス様が必要だとわかりました。自分の多くの罪から救われるために。」と彼女は記す。
雪降るスイスの林を一人で歩いた後、ヤング氏は臨在(Presence)を感じた。そのことについて書く時、彼女はいつも大文字のPを使うようになった。それまで知的な存在だとばかり思っていた、自分の疑問に対する答えは、圧倒的に人格的な存在だと感じた。彼女は声に出して言った。「すてきなイエス様」。
1年後、同じ臨在を感じた。クリスチャン執筆家のキャサリン・マーシャルの祈りについての本『Beyond Our Selves(邦題:祈りの冒険)』を読んでいた時のことだ。
「もう一人ぼっちではないと感じました。」とヤング氏は後に回想する。「イエス様が私とともにいるとわかりました」。
ヤング氏はクリスチャン・カウンセラーになろうと決意し、ミズーリ州にあるPCAのカベナント神学校で2つ目の修士号を取得した。ここでスティーブン・ヤング氏と出会い、結婚した。スティーブン氏は日本宣教師の子、また孫であり、自身も日本宣教師になるつもりだった。二人は1977年に結婚し、Mission to the Worldの宣教師として四日市市南部に移り住み、教会を開拓した。
ヤング夫妻は1991年にオーストラリアのメルボルンに移り、スティーブ氏はメルボルン初の日本語教会の開拓を支援した。サラ氏はカウンセリングオフィスを立ち上げ、性的または霊的虐待を受けた女性が、キリストにある癒しを見出せるよう支援した。ヤング氏は神の守りについて黙想を始め、自分の家族一人ひとりが聖霊に囲まれているのを思い描いた。後の回想によると、黙想するうちに神秘的な体験をした。自分が光に包まれ、平安に圧倒されたのだ。
「神様のご臨在をこれほど力強く味わえるよう求めていたわけではありません。でも、感謝をもってご臨在を受け入れました。」と彼女は記す。
祈りの日記の試み
その翌年、ヤング氏は聴く祈りを試し始めた。日記には神に言いたいことを書くのではなく、神が自分に言っておられるように感じることを書き記した。彼女に少なくとも部分的に霊感を与えたのは、福音派神学者のJ・I・パッカーだった。パッカーはこう書いている。「私たちがご臨在の中で物事を思い巡らす時に」、神は「私たちの心を導かれる」。
これよりも物議をかもしたことには、ヤング氏は『God Calling』にも影響を受けた。これは、「ザ・リスナーズ」としてだけ知られる匿名の女性二人に与えられた、神からのものとされる啓示を記録した英国の作品である。ある新聞編集者がこれを編集して出版した。この出版者は心霊主義、神秘体験、非伝統的な宗教的権威に関心を持っていた。
「キリスト、キリスト、キリスト。すべては私に基づかなければならない。」と神が言っていると、この二人の女性は1933年に記した。「あなたがた二人は管になれ。私の霊は管を流れ、私の霊は管を流れるうちに、すべての苦い過去を洗い去る」。
ヤング氏はこの本をとても気に入った。「イエス様のご臨在の中に生きたいという私のあこがれと、実にぴったり合致していました。」と彼女は語る。これをきっかけに、彼女は祈りの日記に神の声で書くことを始めた。
ヤング氏は神から霊感を受けて書いているとは考えなかったし、ましてや誤りがないとも思っていなかった。だが、自分の書くものが単なる創作的作品だとも思わなかった。神の視点から書くということを、修辞的なツールとして思いついたのではない。自分の日記は、神のご臨在の証しだと考えていた。
ヤング氏はいろいろな病気を経験した。黒色腫の手術2回、慢性疲労症候群の誤診、ライム病、持続性のめまいなどに見舞われる中、祈りの実践は彼女にとって重要性を増していった。ヤング氏は、この実践を他の人たちに分かち合うよう召されているのだろうかと考えるようになった。
「人が私に心を開く時、ほとんどの人はイエス様の平安という薬も求めていることに気づきました。」と彼女は記す。
3年かけて原稿を準備したが、出版契約には至らなかった。2001年、一家がパースに引っ越した時、出版をあきらめた。パースはオーストラリア西部にポツンとある都市で、スティーブ氏がそこで日本人ミニストリーを立ち上げられるようにと考えたのだ。彼女の病はその後の年月、かなり悪化し、自室からほとんど出られなくなった。彼女はできる限り執筆と祈りと、神についての黙想に集中した。
インテグリティ創立者のバイロン・ウィリアムソン氏は、2003年にヤング氏の著作のサンプルを受け取った。その内容は彼の心を捉えた。
「その後数日間、私はサラさんの霊想の中で聞いた声を思い巡らしていました。(中略)実に親近感のある言葉で、温かみのある声でした。」とウィリアムソン氏は後に回想している。「何年も前、母のベッド脇のテーブルに置かれていた『God Calling』という本を思い出しました」。
彼は『Jesus Calling』という書名を提案し、ヤング氏に契約を申し出た。彼女は受諾し、夫に「私の霊想書のせいで出版社が資金持ち出しにならなければいいけれど。」と言った。
出版界の奇跡
心配には及ばなかった。出版後3年間で、『Jesus Calling』は毎年平均2万部売れた。多くの人がプレゼントとしてこの本を買い求めた。キリスト教書店によれば、この霊想書を箱買いできないかと尋ねる客が何人もいた。
トーマス・ネルソンは2006年にインテグリティを買収し、この霊想書をカタログの後ろの方の「その他の出版物」の一つとして扱うのではなく、『Jesus Calling』はベストセラーになる可能性があると考えた。このキリスト教出版社は、この本をプッシュした。2008年には22万部が売れた。2009年にはベストセラー上位に入った。2013年には『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』よりも多く売れ、トーマス・ネルソンはこの作品を24か国語余りに翻訳した。
ヤング氏自身は、夫とともにナッシュビルに戻った後も、自著の販促にほとんど関わらず、閉じこもりがちだという評判を得ていた。本誌が彼女のプロフィール記事を書こうとした時、トーマス・ネルソンの仲介者を通じてメールでやりとりをしただけだった。ザ・ニューヨーク・タイムズおよびパブリッシャーズ・ウィークリーも電話インタビューを断られた。
それでも彼女の本は売れ続けた。多くの人は、人に勧められて『Jesus Calling』を知った。ミュージシャンのデヴィッド・クラウダー氏は、途中で数えるのをやめてしまったほど多くの人から「おい、『Jesus Calling』を読んだか?」と聞かれたという。
俳優で歌手のクリスティン・チェノウェス氏はテレビ番組『プッシング・デイジー』やブロードウェイ作品『ウィキッド』に出演しているが、俳優のリタ・ウィルソン氏からこの本を贈られた。ウィルソン氏はトム・ハンクス氏の妻であり、映画『めぐり逢えたら』や『プリティ・ブライド』に出演している。ウィルソン氏自身、カントリー歌手のフェイス・ヒル氏からこの本を贈られた。「信じられないようなことですが、その日の個所を読むと、私に必要な言葉はまさにこれだった、ということがよくあるんです。」とウィルソン氏は語る。
この本はさらに、共和党大統領予備選挙候補者のスコット・ウォーカー氏によっても推薦され、ホワイトハウス関係者の間を行き巡った。サラ・ハッカビー・サンダース氏は、ドナルド・トランプ大統領が彼女を報道官に昇進させてまもない頃、自分のオフィスでこの本をみつけたという。
「すぐ手に取って、別室に行き、即座に読み始めました。なんだかこう、『私には平安がある』と感じました。」とサンダース氏はCBNに語った。
この本の人気が高まるにつれ、厳しい批判も浴びるようになった。
「著者は自分の考えを一人称で述べ、その一人称をよみがえりの主として記しています。率直に言って、これはとんでもないことです。」とカルビン大学のデヴィッド・クランプ神学教授は2013年に本誌に対して述べている。「著者はおそらく非常に敬けんな信仰深い女性だと思いますが、これは冒とくだと言うべきではないかと感じています」。
福音派ブロガーのティム・チャリーズ氏は、こう記す。これは「きわめて厄介な本」で、危険であり、「私たちが注目するには値しない」。
キャシー・ケラー氏はニューヨークシティのPCA教会のコミュニケーション副部長であり、夫のティム氏は主任牧師だった。キャシー氏は書評の中で、多くの要望があるにもかかわらず、リディーマー教会の書籍コーナーで『Jesus Calling』を販売しない理由をこう説明している。
「ヤング氏は聖書を持っていながら、それでは不十分だと考えた。」とキャシー氏は述べる。「イエス様を体験したいなら、みことばの中にイエス様を見出すことを学びなさい。イエス様の本当の言葉の中に」。
トーマス・ネルソンの編集陣は、批判者は理解力が鈍いと反論した。
「著者は自分の文章が神聖であるとか、新たな啓示を得たなどとは全く考えていません。」と一人の編集者はザ・ニューヨーク・タイムズに述べた。「そのことは、著者が前書きではっきりさせようとしていたと思います」。
編集陣はまた、こうも指摘した。アンドリュー・マーレー、オズワルド・チェンバーズ、A・W・トウザーといった古典的作品を含め、霊想書執筆には長い歴史があり、それは福音派に幅広く受け入れられてきた。ヤング氏の文体は違っているかもしれないが、読者は霊想書というジャンルによく慣れ親しんでいる。批判者はこのジャンルのことをひどく誤解しているようだ、と。
読者がイエスとつながるために
異端的ではないかという非難は、売上に響かなかった。一部の新たな読者は、『Jesus Calling』やその続編となる霊想書に恐る恐る近づいたが、大部分の読者は、ヤング氏によるイエスの言葉を読むと、熱心なファンとなった。
たとえば著述家のドーン・パオレッタ氏は、ヤング氏が神からメッセージを受け取る様は、ニューエイジの著作のようだと感じたので、疑ってかかった。しかし『Jesus Calling』を読んで、これは神からの言葉だと確信した。
「この本を心から推薦します。すでに6冊ほど、プレゼント用に買いました。」とパオレッタ氏はGoodreasに投稿している。「印刷版も1冊買って、今、バッグに入れて持ち歩いています!(中略)たぶんそのうち、この本は神様がその時に示してくださる人にプレゼントすると思います!」
何百万もの人が同じように反応し、霊的栄養を求めて何度も『Jesus Calling』を読み返し、この本を必要としているかもしれないと思われる人にプレゼントした。
ヤング氏は、自著の商業的成功に驚嘆すると同時に、人々がイエスとつながるのを助けることができてうれしいと述べた。販売部数が天文学的数字になるのにつれ、彼女はすべての読者のために祈り続けることに献身した。
彼女は『Jesus Listens』出版に際し、「私がいつもあなたのために祈っていることを覚えていてください。」と記している。「でも、いちばん大事なのは、イエス様がいつもあなたとともにいること、そして、あなたの祈りの一言一句に耳を傾けていることを覚えていることです」。
ヤング氏は8月31日にナッシュビルで亡くなった。遺族は夫のスティーブ氏、娘のステファニー氏、息子のエリック氏。