召しに専念し、仕え続けられる環境を

河野 優 石神井福音教会協力教師、前日本同盟基督教団法人事務主事

 

教会では牧師・伝道師など教職者の福利厚生について、どのように扱っているだろうか。例えば謝儀やその他手当の金額について基準をもっているだろうか。教団や団体によっては一定の基準や目安となる金額を示しているところもあるだろう。ある研修では、牧師謝儀に関する基準額が定められていない場合は、その教会が所在する市町村の役所職員(地方公務員)の給与を目安に決めるのはどうかという提案がなされていた。何らかの客観的な基準や目安を持っておくことは必要であろう。

では謝儀について、教会ではどのように決めているだろうか。予算は特別な活動や計画がない限り、収支ともに前年度予算と実績に基づいて作成されることが多いのではないかと思う。教会員の高齢化などの影響で教会の収入が減る場合もあるだろう。その場合には支出の削減など調整する必要が出てくるが、削減を検討する際、水道光熱費などの固定費、各種支払い、伝道活動費、牧師謝儀と手当などの優先順位はどうなっているだろうか。何を優先し、どのように予算を立てるか。そこにはその教会の信仰の在り方が現れてくると言えるだろう。

謝儀の金額について、牧師の立場から意見を述べることは簡単なことではなく、むしろ話しにくいものと思う。また、一般的には自らの給与などの収入を公開することはないが、牧師謝儀や手当など牧師の収入は教会では詳細まで明らかにされることがほとんどだろう。だからこそ、役員会などでは教会として牧師の働きと牧師家族の生活をできる限り支える意識を明確にして共有し、慎重かつ丁寧な取り組みが求められる。

謝儀など金銭のことだけではない。前回、牧師は労働基準法上の労働者ではないことについて触れたが、だからと言って労働法令の規定について気にしなくてよいとは思わない。牧師がその召された働きに専念し、仕え続けることができるよう奉仕の環境を整えるのは、教会と牧師本人がともに担う務めであり、そのためには一般の規定も適切に取り入れていくことが必要と思われるからである。

例えば執務時間について。牧師は24時間365日休みなく務めに励むものと考える向きもあり、その召しや務めの実際からすると、確かにそのような側面もあるだろう。しかし、そのために公私の切り分けがあいまいで、牧師自らが日々の働きやスケジュール管理、自己管理なども十分にできなく(しなく)なってしまうことがあるのではないか。牧師の休暇・休日についても休みを取ることに罪悪感を持ったり、そのあいまいな働き方のゆえに、働きと休息のとり方がルーズになってしまったりすることがないだろうか。

そこで、、、、、

一定の時間を執務時間として定め、祈りの時間、説教準備や日常的な働きをし、プライベートな時間と区別してメリハリをつけることが必要だろう。休暇も一般のルールを参考に、呼び方は別として、特別休暇の時期など、定めることも有益と思う。牧師休暇期間の対応について、役員会を中心に備えておくことも必要である。健康の維持のために牧師が年に1回は必ず健康診断を受けられるようにし、費用は教会で予算化することなども考えられる。5~10年に一度、サバティカル(研究や安息のための休暇)を、できれば数か月間程度とることができればなお良い。

牧師が主の前に良き働きをささげるために何が必要か、聖書から学ぶとともに、一般社会の仕組みも取り入れ整えることは、教会にとって大いに益となるはずだ。教会の規模や会計状況、事情によってできること・できないことがあるが、牧師と教会、地域の教会や教団などで協力することで、牧師とその家族に対する福利厚生をより良いものとして整えていくことができるのではないだろうか。

2023年10月01日号 03面掲載記事)

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