「第30回信州夏期宣教講座」(同実行委員会主催)が8月21、22日、長野県上田市鹿教湯温泉の旅館「鹿乃屋」で開かれた。テーマは「関東大震災から100年―虐殺のとき、教会はなにをしていたのか?」。高木創氏(福音伝道・沼田キリスト教会牧師=写真=)が「関東大震災(1923年)群馬県における朝鮮人虐殺と柏木義円」、山口陽一氏(東京基督教大学学長)が「寄留者と日本人」と題して講演した。今回は高木氏の講演を抄録。

◇  ◆  ◇

歴史家の藤野裕子は、東京、埼玉の事件を考察し、朝鮮人虐殺の違いを考察している。東京は自警団を結成した民衆と軍隊や警察による「官民一体の虐殺」だったのに対し、埼玉は民衆中心の虐殺だったとする。群馬も民衆中心の虐殺だったと言える。群馬は正確には戒厳令下にはないので、その周辺地域で起こった虐殺だったという性格を持つ。

さて、安中教会牧師の柏木義円は震災時の朝鮮人虐殺について「上毛教界月報」で迅速に文章化し、発表した。この柏木の応答は、植村正久、山室軍平、内村鑑三、賀川豊彦など同時期の教会指導者たちの直後の応答と比較すると顕著だ。事件に迅速かつ否定的に応じたのは柏木のみだった。群馬という周辺的当事者性ゆえに成しえた可能性もあるが、それでもなお当時、稀有な牧師であったと言える。

柏木が噂を耳にしたのは9月3日だった。6日の日記の内容はすべて朝鮮人への乱暴・迫害の件で占められている。ここで注目すべき点は、朝鮮人への暴行や迫害について人々と言葉を交わしている点とその内容だ。疑心暗鬼が強まる中、柏木周辺のコミュニティーが持つ冷静さ、朝鮮人迫害に対する憂慮、悲しみ、憤りは特筆すべきだろう。流言蜚語(ひご)の拡散、迫害・暴行という方向性とは異なるコミュニティーだ。

柏木は10月15日発行の「上毛教界月報」の時事評「鶏肋漫筆」で初めて震災のことを記し、流言蜚語の問題を批判する。古代ローマ大火災時に皇帝ネロがその責任をキリスト者に負わせ、大虐殺を行ったことを例に挙げ、今回の震災でも類似の〝大悪〟がなされたとする。その根拠として、地震後10分以内に朝鮮人が組織的に行動したとするのはあまりに奇想天外な発想だ、などと分析する。自警団に現れた恐るべき姿は、軍人精神のもたらした悪しき結果だと、自警団の弊害も批判している。

震災直後の柏木の日記、書簡、月報から見える、朝鮮人虐殺・迫害事件に関する柏木の応答の特徴は、、、、、、

2023年10月22日号07面掲載記事)