「ことば」の意味を吟味する

河野 優 石神井福音教会協力教師、前日本同盟基督教団法人事務主事

 牧師を教会に迎えるときに、教会と牧師との間で雇用契約書を取り交わした方がよいのではないか―このような相談を受けたことがある。理由を聞いてみると「宗教に対する世間の目が厳しくなっているので、教会も色々な面でちゃんとしなければいけない」「教会も宗教〝法人〟なのだから、法律に従って整え運営しなければいけない」「牧師の働き、牧師と教会との関係について、世間一般の仕組みと同じように整えないと証しにならない」というような意見が教会内で出されたからだという。

 一般的に、人が仕事に就く場合は事業者が提示する労働条件等を確認し、同意したうえで就業する。教会でも謝儀や福利厚生などの条件を確認して就任することが多いことと思うが、その際に教会が牧師に労働条件通知書などを作成・交付したり、雇用契約書を取り交わしたりすることは、果たして必要あるのか、適当なのか。

 この相談に答えるためには、そもそも「牧師は労働者か」ということを考えなければならないだろう。法的にはどうなのか。労働基準法第9条では労働者の定義を「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」と規定している。

 そして、1952年2月5日付の労働省労働基準局長通達では、「宗教上の儀式、布教等に従事する者、教師、僧職者等で修行中の者、信者であって何等の給与を受けず奉仕する者等は労働基準法上の労働者ではない」とされた。それでも、「一般の企業の労働者と同様に、労働契約に基づき、労務を提供し、賃金を受ける者は、労働基準法上の労働者である」としている。

 先の通達では明確に、牧師などの聖職者は「労働基準法上の労働者ではない」としている。しかし、冒頭のように雇用契約書などを取り交わすのであれば、牧師もまた「労働者である」ということになる。つまりは、教会・牧師の理解によってどちらにもなりうるということである。

 牧師は教会で働き、教会から労務の対価として賃金を受けていると考えるならば、牧師も労働者なのだろう。では、牧師は誰に「使用」「雇用」されているのか。教会だろうか、役員会だろうか。そもそも牧師は雇われの身なのだろうか。もし牧師も労働者ならば、教会は雇用主として労働基準法ほか各種法令に基づき牧師に対する責任と義務を負うことになり、牧師もまた教会に対して労働者としての責任と義務を負うことになる。労働者であれば、最低賃金の保証、残業代請求、有給休暇などを、牧師は労働基準法の定めに従って教会に求めるのだろうか。

 行政の判断を待つまでもなく、主に召され仕える牧師は、労働者とは一線を画す存在であると私は考えている。私たちはこのような問題を考えるとき、世の仕組みに当てはめる前にまず、聖書に聞かなければならない。私がまず頭に浮かんだのは「こうしてキリストご自身が……ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです」(エペソ4・11~12)である。

聖書的によりふさわしい表現を

 冒頭の相談に対しては、謝儀をはじめ福利厚生の内容や、奉仕・執務に関する事項を、牧師と教会が確認するための確認書や覚書等の文書を交わすにとどめることが適当ではないかと応答した。その際、雇用など労働関係を示す表現は避け、よりふさわしい表現を用いるように留意することも言い添えた。私たちは教会実務において「言葉の選び方・使い方」にも十分留意したい。教会の中心、信仰の中心にはキリスト、神のことばがあり、私たちは日々そのことばに注意深く耳を傾けている。教会実務を豊かなものにする鍵のひとつに、言葉の持つ意味を正確に把握し、適切に用いることがあるように思う、、、、、

2023年09月03日号 03面掲載記事)

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