「信教の自由セミナー」で岡山氏 現代の戦争と平和を語る 終末の時代に平和を
「第35回JEA信教の自由セミナー」(日本福音同盟〔JEA〕社会委員会主催)が12月1日、オンラインで開かれ、ヨハネの黙示録を研究する岡山英雄氏(JECA・東松山福音教会牧師)が、「終末の時代に平和を考える」の題で講演。終末論的視点から、現在の状況についても言及した。
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最初に、マタイの福音書24章に挙げられている終末のしるしについて説明。「偽キリスト、偽預言者が現れ、戦争、ききんと地震、疫病、迫害と殉教などが起こるが、このような時に近づいているのではないか。このような時代に平和の民としてどう生きるかが問われる」と語る。
黙示録では「獣の王国」と「小羊の王国」の二つの幻で描かれているという。「13章には、獣が暴力的に地上を支配するという幻がある。暴力、怒り、憎しみ、敵意、敵対心、ねたみ、そういう感情の根本には竜(サタン)の支配、手先としての獣としての暴力的支配がある。戦争の原因を突き詰めていくと、そういう感情に行きつく。そういう意味で、すべての戦争は竜によって操られた悪魔的なものと言える」
「国家は『神のしもべ』(ローマ13章参照)だが、自らを神格化し、国民に礼拝を強要するようになると獣になる。黙示録の場合、獣はローマ帝国を示しているが、かつての日本もそうだった。国家が戦争に関わると、空気が一変する。昨年、政府は敵基地攻撃能力を容認し、軍事費を倍増することを決定した。メディア、SNSの発信も一気にかわり、平和の民として生きづらくなるという所に立っている」
「一方、『獣』に対し『小羊』の幻も示されている。イエス自身は『剣をもとに収めなさい。剣をも取る者はみな剣で滅びます』(マタイ26・52)と言われた。完全非暴力だ。平和の民として生きるとは、どんな時代になろうとも小羊として屠(ほふ)られたイエス・キリストの姿を心に刻んで歩むこと。3世紀までの教会は、暴力的行為は一切なかった。だがローマ帝国がキリスト教化された4世紀頃から終末論が失われ、国家の軍隊がキリスト教の軍隊となった。今日までそれは続いている」
その上で、イスラエルにも言及。「イスラエルは神のご計画の中で建てられた国であり、その民には特別な役割がある。しかし、現在のイスラエル国(共和政イスラエル)は近代国家としての矛盾を抱えている。建国以来、パレスチナ人にしてきた非人道的な弾圧や、空爆によるガザ市民の犠牲は問題である。停戦と平和のために祈る」
「キリストは『隔ての壁である敵意』を打ち壊し、平和をもたらした」(エペソ2・14参照)と岡山氏。「『ユダヤ人もギリシア人も』キリストにあって一つとされた。私たちが目指すのは地上のエルサレムではなく、天のエルサレムである。天では、地上の国籍を越えた民が一つとなって神と小羊を誉(ほ)めたたえている。キリストの平和は個人、国家を越え、万物に及ぶ(黙5・13、イザヤ11・6、7参照)。平和の完成の日を待ち望みつつ、私たちは暴力的な世界で平和の民として生きる」
「地上では産みの苦しみ、困難があるが、最終的には勝利がある。その希望があれば、非暴力で戦える。また世界宣教も終末のしるしの一つだ。『福音が全世界に宣べ伝えられ、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます』(マタイ24・14)」と結んだ。
詳細は、来年出版予定の自著『黙示録の希望:終末を生きる』(いのちのことば社)で。
(2023年12月24・31日号 02面掲載記事)