「牧師夫人」は教会の何でも屋ではない

昨年、一昨年と開かれた「女性ミニストリーワーカーリトリート」。首都圏宣教セミナーと関西牧会塾の共催企画で、参加者の多くは牧師の妻、いわゆる「牧師夫人」と呼ばれる女性たちだった。発起人は大嶋裕香・重德夫妻と、豊田かな・信行夫妻。彼らはなぜ、このリトリートが必要だと感じたのか。日本で「牧師夫人」が置かれている現状と、既報の同シリーズへの思いも含めて聞いた。

 

大嶋裕香さん
――「教会のお母さんに」と言われ戸惑いを感じた

おおしま・ゆか:1973年、東京生まれ。結婚、家庭、子育てセミナーなどの講演、執筆活動中。川口市主任児童委員。

 

大嶋重德さん
――夫である牧師も妻に「牧師夫人」を押し付けてきた

おおしま・しげのり:1974年、京生まれ。1997年からキリスト者学生会(KGK)主事。現在、鳩ヶ谷福音自由教会牧師。

 

豊田かなさん
――交わりなく、言えない雰囲気に、牧師の妻は孤独に

とよだ・かな:1967年、滋賀生まれ。2001年よりJoeJoe Gospelディレクター。現在はカサ・デ・カナ英語塾を経営。

 

豊田信行さん
――妻に「邪魔せんとって」という思いがあった

とよだ・のぶゆき:1964年、大阪生まれ。1997年、ニューライフキリスト教会(大阪府島本町)の牧師に就任。今に至る。

 

悩みを言える安心安全な場を

大嶋重 学生伝道の働きを20年やってきて、講演などで全国を回らせていただいた時に、各地の牧師や牧師夫人の悩みを聞く機会が多かったんです。「着任したら牧師夫人は愛さん会の料理を七品作れと言われて、泣きながら作った」とか「牧師の子どもたちに『こうあるべき』を教会員から押し付けられて傷つけられた」とか。そして牧師の子どもたちは「あの時、親が助けてくれなかった」と今も親を恨んで教会から離れていった、とか。
それで、僕が牧師になる時に、そうならないように、という思いがありました。

大嶋裕 夫が学生伝道団体の主事から牧師になった時、多くの方から「牧師夫人になるなんて大変ね」と言われたんです。私の母教会のある人からも「あなたはこれから教会のお母さんになるんですよ」とも言われ、その言葉にとても戸惑い、不安を感じました。しかし夫は私や子どもたちを守ろうと、赴任当時、教会の総会で「先代の牧師夫人と同じことを妻に期待しないでください。妻は「牧師夫人」ではなく私の妻です。教会のごみ捨ても戸締りも、教会のことは私がします。そして大切なことは妻に言わず、私に話してください」と言ってくれました。
でも、愛さん会の時に隣に座ろうとしたら夫が、「裕香は女性たちのところに座って」と言ったので、「座るところは自分で決める!」と怒りました。

大嶋重 恥ずかしいことですが、その時僕は牧師の妻としての役割を無意識に彼女に求めたんだと思います。でも彼女がわかりやすく反発してくれたから、はっとした。
「牧師夫人」が大変なのは、結局夫である牧師たちが(僕も含めて)、その役割を押し付けていることが問題なのだと思います。

豊田信 僕の場合は、赴任当時、妻に対して「邪魔せんとって」という思いがあった。結婚前に、個性の強い牧師夫人が教会員と人間関係のトラブルを起こして、教会員が傷ついているというケースを見聞きしていて、こうなりたくない、と。でも今思えば、妻に賜物があり、牧師夫人としてというより、一教会員としてでも賜物を生かせる機会は提供できたし、妻として、もう少し彼女の助けを僕自身が心を開いて受けていればよかったな、と反省している。彼女を過小評価というか、押さえつけていたな、と。

豊田か 妻が教会員との関係をこじらせると、牧師としてしんどくなる、と思ったんでしょうね。でも何かを勝手に決めたあとで、私にふってくる仕事なんかもあって…。

大嶋重 それは信さん、ひどいね…。

豊田信 (苦笑)。今は長い年月をかけて、教会員との信頼関係ができて、僕のことも妻のことも、職務上じゃなく人格的な交わりができているように思う。うちの教会にはアドミニストレイタ―(事務主事)がいて、牧会以外の相談事は全部彼のところへ行く。牧師や牧師の妻が何でも屋になる必要はないし、もちろん妻が「教会のお母さん」をする必要もない。

大嶋裕 とてもいい制度ですがアドミニストレイタ―をおける教会は日本では少ないでしょうね。
ある女性牧師と話したことがあるんですが、主任牧師と牧師夫人、両方経験された方で、「牧師夫人のほうが大変だった」と。夫婦で牧会という考えもあるだろうけど、彼女いわく「牧師」というタイトルと「牧師夫人」というタイトルは全然違って、前者は教会員が敬意をもって接してくるし、後者は「この人には何を言ってもいいや」という下に見るような扱いを受けることもあったと。

豊田か 牧師の妻は孤独を感じる時があると思います。私もありました。仲の良い教会員はいます。でもすべては言えない。夫の愚痴までは言えても、夫に傷ついている、とまでは言えない。
夫は牧師会とかセミナーとかいろいろあって、気分転換もできるし、交わりもある。でも牧師の妻はないので不公平だと感じていました。
私がすごくうれしかったのは、大嶋夫妻が大阪に来てくれて四人で夕食を食べた時。私が夫に傷つけられた経験を言ったら重さんが、夫にめちゃめちゃ怒ってくれたんです。牧師を叱るなんてなかなかできないでしょ。私はクリスチャンホームで育って、「怒ってはいけない」と育てられてきましたし。でも人間だから、誰にだってよくない部分や改めないといけない部分はある。でも牧師という肩書がついているとなかなか言えない。
だから、重さんの言葉にすごく解放感を味わったんです。私にも悪いところはあるけれど、夫だってある。このことについては夫が改めるべき、とばしっと言ってもらえて、すごくうれしかった。あ、今は夫は改心(?)していますし、今は思いを伝えることができています。でも、そのことがあったので、牧師の妻が誰かに話を聞いてもらって、「あなたは間違っていない」と肯定してもらえるような場所があればいいなと思いました。

大嶋重 いろんな悩みを牧師の妻たちは抱えている。彼女たちのためのリトリートをやろうと言い出したのは僕です。
悩みを言えるような安心安全な場所がない人も多いと思います。教団の会議などがあったとしても、女性にとって、会議が本当の意味での交わりになることはほぼないと思う。

豊田信 リトリートで重さんが、僕以外は(笑)個人攻撃じゃなく、自分も間違いを犯す存在ということも認めた上で、牧師や教会を一般化して非難すべきところを非難していた。それで、長年の悩みや重荷から解放された女性たちが多かったのではないかな。
重さんからリトリートをやりたいと言われて、僕たち夫婦も賛同した。(二回目は)日帰りでなく、宿泊を伴うものにしたのは、普段の生活から離れないと、「こうあるべき」という思考からのリセットができないし、気分転換にならないから。受けたものを自分の中に落とし込んでいく時間が必要。
参加者の中で、「話を聞いた時はよくわからなかったけど、翌日の朝思い出し、反芻(はんすう)する中で号泣した」という声があった。
いつも夫や子ども、教会のことを考えなくてはいけなくて、自分の気持ちに向き合ったことがなかったという方が多くてびっくりした。

大嶋裕 このリトリートが気づきと癒やしの場となり、また気づいた人がまた誰かに伝えていくようになればいいな、と思っています。

「牧師の妻」の「声なき声」から見えてきたもの

普段困っている方を助ける牧師や配偶者こそケアを ―大嶋裕香さん

この「『牧師夫人』を考える」シリーズで紹介されたアンケートは、牧師配偶者たちの「声なき声」を拾ってくれた感があります、、、、、、

牧師の妻も「私らしく」生き生きと働けるように ―豊田かなさん

私は結婚した時、夫から妻の役割に徹してほしいと言われました。予想外のことで当惑しましたが、献身者としての自分の願いを「box」に入れました、、、、、

抱える悩みを分かち合う交わりが実は開かれている ―大嶋重德さん

学生伝道を辞め5年目を迎えました。全国各地の教会でお聴きした牧師夫妻、牧師家族の悲しみや痛みは、今、自分が牧師をする際の大きな知恵となっています、、、、、

「牧師夫人」という枠を超え神様に仕えていく支援を ―豊田信行さん

特集記事に対するコメントを求められたとき、「反省文を書かないといけない」と正直思いました。独身時代、ある教会の客員会員だった私に対して牧師夫人から理不尽な要求や扱いを受けたことがあり、、、、、

2024年01月28日号04面掲載記事)

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