被害は深刻。だが解散命令肯定だけで良いのか

2022年に起きた、安倍元首相の狙撃事件の被告人(当時は被疑者)の犯行動機が明らかになったことによって、世界平和統一家庭連合(以下「旧統一協会」)による高額献金や霊感商法による多数の被害がクローズアップされるようになった。

これを受けて昨年10月に文部科学省(以下「文科省」)は東京地方裁判所に対し、宗教法人法(以下単に「法」)81条1項1号及び2号に基づいて、旧統一協会の解散請求を行い、本年2月22日に第一回審問期日(双方の言い分を聞く機会)が非公開で開かれる予定である。

本件解散命令については被害実態の深刻さから反対する世論はほぼ無く、宗教界においてもこれを肯定する声も聞かれる。しかし本当にそれで良いのか。これまで国を被告とする政教分離訴訟を複数担当してきた在野法曹であるキリスト者の立場から、留意すべき視点を以下に列挙して述べる。

公権力の行使によって私的団体を解体する構図

第1に、本件解散請求の理由とされている違法勧誘等は信徒・旧統一協会間における私人間の権利侵害ないし法的紛争であるのに対し、本件解散請求は公権力(文科省)対私人(旧統一協会)間の紛争であり、かつ公権力の行使によって私的団体を解体しようとするものである。誤解を恐れずに言えば、国家が私人間の紛争の一方当事者の立場に立ち、公権力をもって他方当事者の法人格を剥奪しようとしている。その構図に敏感になる必要がある。

「集会結社の自由に対する著しい制約」となるか

第2に本件は法81条1項1号(ないし2号)が適用されるべき事案なのか熟慮する必要がある。法文上「公共の福祉を害する」にとどまらず「法令に違反して」「著しく」との条件が加重されている上に、これが「明らかに認められる」つまり客観的かつ明白であることが求められる。

それは解散命令が宗教団体の法人格を剥奪するという信教信条の自由(憲法20条1項)、特に集会結社の自由に対する著しい制約をもたらすからに他ならない。すなわち、国家が宗教団体の活動内容に関する質問権を行使し、もって当該宗教団体の法人格を剥奪する解散命令は、まさに公権力が宗教団体の結成・(不結成)、成員の継続・脱退、団体その意思形成及び諸活動(団体自治の自由)に介入するものに他ならず、宗教的結社の自由を著しく制約する。

なお過去に解散命令が発出されたのはオウム真理教と明覚寺の2件のみであり(いずれも犯罪行為を「法令違反」と認定している)、他方、教祖による多数の女性信徒に対するわいせつ行為、苦行による致死等の行為が認められた事案(N教事件)等でも解散請求は認められていない。

上記文言や先例に照らして比して、旧統一協会に対して解散命令が認められることが妥当なのか、今一度立ち止まって考える必要がある。

本末転倒な問題のすり替えがないか

効果と手段としての合理性の有無

第3に本件解散命令の効果と手段としての合理性の有無を吟味する必要がある、、、、、、、

2024年02月11日号   05面掲載記事)