ロシアのウクライナ侵攻から2月24日でちょうど2年が経った。だが、戦争の終息はいまだに見えない状況だ。ウクライナ軍はロシア軍を撤退に追い込み勝利するまで徹底抗戦の構えだが、武器や兵員不足が深刻化し、ウクライナにとって厳しい局面が続くと見られている。そんなウクライナの現状について、オデッサで宣教するウクライナ宣教師の船越真人氏にレポートしてもらった。

ロシアによるウクライナ全面侵攻が3年目に突入した。今も出口が見えず、戦況は泥沼化している。ロシア軍はアウディイウカを陥落させ、さらに戦果を拡大せよとの命令が、プーチン大統領により軍に出された。あれほど非合理な人的犠牲を出しながら、侵攻をやめようとしないロシアを突き動かしているものに戦慄と怒りを覚える。

前線に行く信徒のために祈る。(従軍牧師のアレクサンドル・カレンスキー氏提供)

一方、ウクライナに目を向けると、深刻な兵士不足がある。多くの部隊で兵士たちの交替ができず、現場の兵士たちは疲弊しきっている。兵士の数を増員するにはさらなる動員が必要であることも、社会の不安を強くしている。
ウクライナを最も暗い気持ちにさせているのは、欧米からの支援の停滞と、今後の見通しの不透明さだ。現場の兵士たちは武器・弾薬不足に苦しんでいるが、それらが供与される見通しが立たないまま圧倒的な量の兵器・弾薬を持つロシア軍に対峙(たいじ)する時、兵士の死傷者数が増えるのは必至だ。その理不尽な状況下で仲間を失い、傷を負い、また戦場に復帰することになっている負傷兵たちから、慰問先の病院で話を聞く時、そこにある悲しみ、怒り、罪責感、恐れ、苦しみに圧倒され、言葉を失ってしまう。
だが、彼らの多くは「ロシアとの停戦交渉に応じるべきではない」と言う。停戦をして、自軍を立て直し、都合の良いタイミングで停戦合意を一方的に破り、攻撃を開始するというのがロシアの常套(じょうとう)手段であることをウクライナ人は熟知している。すでにロシアが一方的に併合したとするウクライナ東南部四州についても、ロシアは交渉の対象としないと明言している。停戦の条件としてハリコフ州やオデッサ州の併合も要求してくるとも言われている。さらに、「非ナチス化」と称し、現政権の打倒も条件にされると考えられている。ウクライナが主権国家としてその要求に応じられるはずがない。

病院訪問でサポートしている負傷兵たちと。右端が船越氏

そうなると、ウクライナは戦い続けるしかない。だが、兵士も兵器も足りない。この厳しい現実を前に、私たちも本当にやりきれない思いにさいなまれてしまう。ただし、今からちょうど2年前、世界の大部分は「キーウは2週間で陥落し、ウクライナはロシアに征服される」と考えていたはずだ。にもかかわらず、多大な犠牲を出しつつも、ウクライナは自国の主権を維持している。それは主のあわれみと諸外国の応援と、ウクライナ人たちの覚悟と決意があったからだ。 来年の今頃、ウクライナが、オデッサがどうなっているのか、私たちには見当もつかない。だが、ここにある教会として、私たちは主の真実さを信じて宣教を続けていく。
昨年末、私たちは礼拝で詩篇126篇を学んだ。イスラエルに対する主の言葉だが、私たちはそこに自分たちの状況を重ね合わせずにはいられない。詩篇の著者は4節で「主よ ネゲブの流れのように 私たちを元どおりにしてください」と願う。それは、あのワジの激流のような、突如として起こる圧倒的な神のリバイバルを願う祈りだった。神の超自然的な介入を信じ願うからこそ、続く5、6節で次のように宣言する。「涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え 泣きながら出て行く者は 束を抱え喜び叫びながら帰って来る」
今、私たちは涙を流すことがあまりに多くある状況にいる。だが、涙を流しながらも希望の種を、福音の種をまき続ける。主を信頼しながら、今年もHOPEプロジェクトの活動を続けていく。この働きを共に支え担ってきてくださった皆様に心から感謝をしている。そして、1~3節で著者が言っていることが、ウクライナにいる私たちの証しと賛美となることを信じている。「主がシオンを復興してくださったとき 私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき 私たちの口は笑いで満たされ 私たちの舌は 喜びの叫びで満たされた。そのとき 諸国の人々は言った。『主は彼らのために大いなることをなさった。』 主が私たちのために大いなることをなさったので 私たちは喜んだ」