本書のタイトル「神の子とする恵み」には、「神の主権的恩寵」を中心とする著者の神学的スタンスが凝縮されている。「神の子とする」を意味するヒュイオセシアはパウロ書簡に登場する。例えば、よみがえりのイエス・キリストを長兄とする神の家族への歓迎として(エペソ1章5節)。イスラエルに土台を置く共同体的様相を含む言葉として(ローマ9章4節)。その「神の子とする恵み」は異邦人にも広げられ(同8章15節)、神の子は被造物全体と共にうめきながら終末を待ち望む(同8章23節)。

これほど重要な「神の子」概念が、J・I・パッカーによれば「キリスト教史ではほとんど尊重されてこなかった」(36頁)。その指摘に触発されるかのように、この概念を救済論の中で本来あるべき場所に位置付けようとの取り組みが始まった。それまでは神と人間の関係を裁判官と罪人とする「法的アプローチ」が主流だったが、「神の子」概念は「家族的観点」を加えより共同体的に再定義を促す。それは家族の瓦解という時代の敗れ口に立ち、福音の提示を願う者に大きな神学的な可能性を与える。

本書は「カルヴァン以前」「カルヴァン」「カルヴァン後」と時代を三つに区切り、「神の子」概念に絞って一つ一つの信仰告白文章の連続性や発展の有無を丁寧に検証していく。そうしてウェストミンスター信仰告白第12章に行き着くのだが、同信仰告白を含む諸告白文について「この相違の程度は、ヒュイオセシアの意味からかけ離れてしまうほど深刻なレベルではないものの、論理展開における強調の違いや欠落している点などもあり、見過ごしにできるレベルとは言えない(493頁)」と手厳しい。特にローマ書9章4節に見られる「イスラエルの神の子性における共同体的様相」については「『ジュネーブ協定』を除けば一つもなかった(498頁)」とも。「『神の子』概念は、神の子らに救いの土台と目的を提供することにより、教会を建てあげていく務めを担っている」のに、である(585頁)。

評者の教会では、教会全体をビッグファミリー、12の家の教会をスモールファミリー、教会総会を「家族会議」と呼ぶ。著者が附論で指摘するように家庭形成も含め、その一つ一つの土台は「神の子とする恵み」である。もし「神の子」の共同体的様相を含む信仰告白文がないのならば、ぜひ齋藤師に日本の文脈に即してまとめて欲しい。その時、本書は本当の意味で完結するのでは。
(評・川村真示=同盟福音基督教会 岐阜キリスト教会牧師)

『神の子とする恵み-宗教改革信条史における「神の子」概念再考-』
齋藤五十三著、教文館,
6,600円税込、A5判

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