66年間の牧会伝道、献身者43人を輩出

東京若枝教会名誉牧師で、バックストン聖会講師、海外宣教連絡協力会(JOMA)会長などを務めた飯塚俊雄(いいづか・としお)氏が、4月30日、心不全のため東京村山市内の病院で亡くなった。91歳だった。告別式は5月5日、同教会で工藤弘雄氏(日本イエス・キリスト教団牧師)の司式により行われた。

1933年、福島県白河市に生まれる。中学3年生の時に骨髄炎を患い、それをきっかけにしてキリスト教と出会い、信仰を持つ。関西聖書神学校卒業。東京神学大学に学び、トリニティ神学大学・大学院(アメリカ・シカゴ)卒業。白河栄光教会の開拓を経て、荻窪栄光教会にて教会堂建設に尽力。その後、現在の東京若枝教会の前身、関町福音教会を練馬区関町で始めた。アンテオケ宣教会理事長、世界宣教研修センター校長を務め、66年間の牧会伝道を通して43人の献身者を送り出した。

訳書に『新訳 聖潔のしおり』(サムエル・ブレングル著 救世軍出版供給部)、著書に『神の愛の真実-永遠のいのちをあなたに-』(いのちのことば社)、他。

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飯塚俊雄先生御召天

東京若枝教会名誉牧師 飯塚俊雄先生が2024年4月30日心不全のため召天された。享年91歳であった。

先生は、15歳の時にあの東京大空襲で一家を失った中村秀雄氏の路傍伝道によりキリストの福音に接し、その後献身され、それから60余年にわたる伝道者生涯であった。

1968年、練馬区に世界一小さいと言われる伝道所を始めて、その後、三度にわたる会堂建築を経て「東京若枝教会」を200人を超える教会へと育てていった。

先生を先生たらしめていたその源流はバックストンの流れを汲む聖潔、聖霊のバプテスマによる内住のキリストの証しである。それが伝道生涯のエネルギーとなった。

先生の召天は、教会の牧会において、内外の数多くの働きにおいて、あるいはその遺された著作において、その功績は余りにも甚大で、教会員だけでなく日本の宣教にとっての損失は数えきれない。

教会にとっては、明日からどうしようかとただただ神の力を信じるしか思いつかないが、献身を新たにして先生の生涯に倣い最後まで走り抜かせていただくしかない。

(記・木村季博〈すえひろ〉=東京若枝教会教会員)