市來氏「働きはあるがワークリーダーいない」 動ける人材の備え 平時から 「能登半島地震支援のための代表者の集い」(上)

支援拠点でもある聖書教会連盟・内灘聖書教会(石川県河北郡内灘町)で5月23日に開かれた「能登半島地震災害支援のための代表者の集い」(全キ災〔キリスト全国災害ネット〕主催、日本福音同盟〔JEA〕援助協力委員会・能登ヘルプ〔能登地震キリスト災害支援会〕共催)では、「能登を知り、祈り、今後の支援について考える時」と題し、報告、懇談、祈りの時を持った。

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午前のプログラムでは、開会礼拝で北野献慈氏(全キ災世話人代表)が挨拶。「様々な立場の方々が代表として集まり、顔と顔を合わせて報告を聞き、祈り合い、今後の災害支援についても一緒に考える機会が、神様の特別な導きの中で実現できたことを信じている。ぜひ親しく交わり、協力のためにつながってほしい」と期待した。

佐野泰道氏(JEA援助協力委員会委員長)はエレミヤ書29章から奨励。「今年の元旦礼拝で読んだ御言葉だが、その数時間後に地震が起きるとは思わなかった。『それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ』(11節)とあるが、発災後、様々な団体がここに集められ、能登ヘルプが立ち上がり、地元の方々が震災支援につながっていくのを見て、平和、希望が実現されていく主の計画がここにあることを受け止めている。復興の働きが推し進められていくことを期待し祈っている」と話した。

セッション1では、岡田仰氏(能登ヘルプ世話人代表)が挨拶。「能登ヘルプに対し大変な額の献金をいただいている。それも外国からの献金はほとんどなく、基本的には日本の諸教会から捧げられていることに感動した。本日は、阪神淡路、東日本、熊本など、様々な大震災を経験して来られた皆様から教えをいただきたい」と述べた。

市來雅伸氏

市來雅伸氏(能登ヘルプ実務担当ワークリーダー)は支援活動について報告。「九キ災(九州キリスト災害支援センター)の私がなぜここに来たのか。内灘聖書教会から始まった石川・ホープ・インターナショナルスクール(IHI)の丹羽るつ先生から、昨年、『授業で災害のことを学びたい』と、オンラインを通じて授業をした。年明け1月1日に地震が起き、丹羽先生から『助けてほしい』と連絡が来た。授業をしてなかったら、支援のスタートが少し遅れていたかもしれない」

「能登では働きはいっぱいあるが、それを回していけるワークリーダーがいない。教会や支援団体は、平時からフレックスに動ける人材を備えておくべきだ。またそういう人材を支えていくことが必要だ。そのことに、知恵を出しながら取り組む時ではないか」と語った。

続いて、被災者でもある荒川康司氏(聖書教会連盟・輪島聖書教会牧師)が報告。「輪島塗りの方の3、4割がすでに廃業を決めている。800年の歴史が途絶えるか否かの瀬戸際だ。そんな中、北野氏が広島から連れてきた重機の方(工務店社長)が『やろうと思えば名刺1枚でも取り出せる』とのことで、漆芸作家の箱瀬淳一さんの工房の貴重品取り出しをやってもらった。2週間、手に入らない筆まで本当に丁寧に、完璧なまでに取り出してくれた。以後65軒手掛け、13軒の依頼が来ている」

荒川康司氏

「私は20年間、地方教会の牧師をしている。もし、リタイアし年金がもらえるようになった方々がいたなら、地方教会再生のためにぜひ地方に行ってほしいと申し上げたい」と語りかけた。(つづく)

2024年06月23日号 07面掲載記事)