筆者が奉職している関西聖書神学校では3年に1度、在校生のための海外短期宣教旅行のプログラムを用意しています。昨年7月、コロナ禍後はじめて、筆者は学生と共にタイのチェンマイを訪れました。そして、タイ在住の日本人宣教師の方々に助けていただいて、様々な現場を見学しました。その中で、一つの神学校を訪れました。
宣教旅行の1年前の2022年、私はその神学校の校長とシンガポールで出会いました。ひとりの宣教師が相互を紹介してくださったのです。シンガポールでの私たちの話題は神学校におけるヘブル語の位置付けでした。
アジアの多くの神学校では、たとえギリシア語が必修であったとしても、ヘブル語は選択科目になっていること、学位認定機関もヘブル語の単位の取得を必須にしていないことなど、現在の神学教育における聖書言語教育の軽視と実践神学の極端な重視という問題意識を共有しました。そして、その席で、すでに決定していた23年の本校の海外短期宣教旅行の際に、私がその神学校で「なぜヘブル語を学ぶことが重要か」というテーマで講演をすることなったのです。
1年前の約束を果たすために、私は23年にチェンマイへ行った、と言っても過言ではありません。実質1時間ほどの講義を2度、行いました。1度目は、私が英語で語り、校長がタイ語へ通訳をしてくれました。2度目は、英語が分かる学生ばかりでしたので、同じ内容を通訳なしで講義しました。参加者が多くいたわけではありませんでしたが、その神学校内では比較的好意的に受けとめられたと聞きました。
後日談として、私をその神学校の校長と引き合わせてくださった宣教師とタイ人の学生たちで、タイ語で書かれたヘブル語の教科書を完成し、、、、、、、、、、

(関西聖書神学校校長、AGST/J関西研修センター長)

2024年06月02・09日号 06面掲載記事)