《連載》世の目人の目聖書の目#24 見て見ぬふりが暴力を加速
碓井 真史 新潟青陵大学大学院教授/心理学者
暴力使わない生き方を学ばなければ
大相撲で、またしても暴力問題発生だ。稽古場から竹刀は消えたというが、暴力の根絶には、まだ時間がかかるのだろう。現代社会においては、あからさまな暴力はほとんど見なくなった。しかし、身体的暴力、心理的暴力、性的暴力など、様々な暴力は私たちの身近に今も存在し続けている。
どんな人が暴力を振るうのか。研究によれば、年齢、学歴、職業に関わらず、暴力は使われる。外では温厚で上品な人が、パートナーや子供に暴言を吐き殴りつける。外では優等生の子どもが親を殴る。体罰や不適切指導で問題になる教師は、しばしば教育熱心な人だ。だから、私もあなたも加害者になりうるのだ。
動物の攻撃や威嚇行動には、善悪はない。ライオンは生きるためにシカを襲う。野良猫が人間に向かってうなり声を上げて威嚇するのも、合理的行動である。巨大な二本足生物を危険視し、近づけないようにするのは当然だろう。
しかし、人間と共に平和に生きていこうとするならば、行動を変えなくてはならない。だが、不慣れな人は威嚇されると怖がって逃げていく。これでは、うなり声がやむことはない。ところが慣れている人は、猫が「シャー」とキバを出して威嚇しても、反応しない。そうすると、猫は威嚇行動は無駄だと学習し、しだいにうなり声をあげなくなっていく。
さらに、この二本足は危険な生物どころか、美味しい食べ物を与えてくれて、気持ちよくしてくれる存在だと学ぶ。そして、人間から心地よい行動を引き出すためには、キバをむき出すよりも、「ミャーオ」と可愛く鳴いた方が効果的だと学び、ペットらしくなっていくのである。
暴力を振るう人間も、その場ではその人にとって良いことが起きている。殴れば子供が言うことを聞く、、、、、
(2024年03月10日号 03面掲載記事)