小谷孝子さん腹話術で証言 「市内は火の海 人々は皮膚がただれ」 被爆79年 8・6キリスト者平和の祈り

広島原爆投下されてから79年目の8月6日、「2024年8・6キリスト者平和の祈り」が、広島市中区の日本福音ルーテル広島教会で開催された。カトリック広島司教区、日本基督教団広島西分区、日本聖公会広島復活教会、広島市キリスト教会連盟共催。小谷孝子さん(日基教団・八千代台教会員)が「『核』も『戦争』もない未来を願って」と題し、腹話術を使って被爆証言した。

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広島県呉市生まれ。1945年春に広島市皆実町(現・南区皆実町)に引っ越し、6歳の時に被爆。35年間東京及び千葉県八千代市の幼稚園に勤務の傍ら、74年に腹話術を取得。2003年の定年退職から被爆証言活動を開始し、10年から腹話術で証言活動を行う。芸名は「春風あかし」、腹話術人形は「あっちゃん」。

腹話術で被爆体験を語る小谷孝子さん

「6日朝は静かで、真っ青に晴れていた。台所でお水を飲んでいると、突然ガラス窓がピカッと光って、ドーンとものすごい音がし、家が倒れて下敷きになった。市内は火の海。人々はお化けのように手を前に出し、皮膚が垂れ下がり、ゾロゾロ歩いている。ボーっと見ている私のほうに手を出し、『水をちょうだい』と言って寄ってくるの」

「お姉ちゃんとお兄ちゃんは全身やけどで、お兄ちゃんは爆風で飛んできたガラスが刺さって血だらけ。近所の人と立ち話をしていたお婆ちゃんも全身やけどで帰ってきた。みな水をもとめてバタバタと死んでいた」

「8月10日朝、意識のなかった弟が目をさました。母が口に水を含ませると、『飛行機怖いね。お水おいしいね』のひと言を残し、3歳でなくなった。祖母、姉、兄、私のために食べ物や薬を求めて広島市内を駆け回っていた母も、私が小6の時に原爆症による白血病で亡くなった」

「日本は平和憲法で二度と戦争はしないと決めたの。でも、戦争も核兵器もない世界でないと笑顔になれないから、平和の種まきをしていこうね」

小谷さんの被爆証言はURLhttps://www.youtube.com/watch?v=fF6q7vuenioで視聴できる。