原爆投下79年目の長崎 「平和祈念礼拝」で浅場氏「やられたらやり返す」は捨て、新しい道へ

長崎に原爆が投下されてから79年目の8月9日、「平和祈念礼拝2024」が長崎市千歳町のインマヌエル長崎教会で開催された。主催は長崎市内にある福音主義教会による団体「長崎キリスト教協議会」(門田純代表)。当日は浅場理恵氏(日基教団・長崎古町教会牧師)が、マタイによる福音書5章38~42節から、「平和への道」と題して説教した。
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浅場氏の故郷は佐世保市の針尾島。「真珠湾攻撃の際、『ニイタカヤマノボレ』の暗号を受信した3本の受信塔がある場所。そのため、針尾島の幼稚園、小学校では、8月15日だけでなく12月8日にも平和集会を行い、戦争を起こした側として平和教育が行われてきた」

「主イエスが示された新しい生き方を」と説教する浅場氏

一方、原爆投下により140人の生徒と教職者が亡くなった鎮西学院の旧校舎があった場所に建つ活水中学校・高等学校時代の6年間は、「被害を受けた側として教育を受けてきた。幼稚園や小学校で平和の絵本の読み聞かせも続けてきた」。国際基督教大学(ICU)在学中は、「学内にある平和研究所主催の沖縄フィールドトリップに参加し、基地問題について学び、日本YWCA主催の広島を考える旅に参加し、学内に学生YMCAを立ち上げて、憲法9条や国際法など、友人たちと夜通し議論を交わし続けた」。
そんな中湧いてきた疑問が、「仮に核兵器、基地がなくなれば平和の道を歩んでいけるのか?」だった。「恐らく、なくなっても新たな武器、争いを生み出すに違いない。人間の罪が解決され、新しい生き方が示されなければ、平和への道を歩むのは難しい。今日の個所は、弟子たち、教会に向け、そんな新しい生き方、平和への道が示されている個所の一つだ」
「『目には目を、歯には歯を』(38節)は、『やられたら、やりかえせ』ではなく、『やられても、ここまでにしなさい』ということ。だが人間は、やられたら2、3倍やり返さないと損をした気分になる。なぜなら、人から受けた苦しみにはとても敏感で、大きく感じてしまうからだ。これと同じことが、国レベルで起こっている」
「しかし、主イエスはそういう考え、生き方に対して挑戦しておられる」と強調する。「主イエスはここで、損することを受け入れなさい、と語っておられる。それどころか、自分を苦しめ、傷つけ、損害を与える者に対して『与えなさい』(42節)とも言われる。この教えは『はい、そうですね』と簡単に受け入れ、実践できるものではない。自分が損する上に、悪人が得をする。普通は許せない。バカバカしい生き方だと思う」
「しかし、『やられたらやり返す、倍返ししないと気が済まない、自分にはその権利がある』と考えるなら、私たちは神様の御前でどれだけの倍返しを受けなければならないか」とも指摘する。「私たちはみな、神様の法に従えずに神様の御心、ご栄光を日々傷つけながら生きている。一つ罪を犯すごとに、主イエスに傷をつけている。もし主イエスに、やったらやり返す権威が与えられていたなら、私たちに正義の鉄槌(てっつい)を振りかざし、私たちを永遠の滅びに処していただろう。だがこの権威を捨て、自分自身を傷つけ、裏切り、見捨てた者を赦し、受け入れ、弟子としてくださった。私たちから見れば、主イエスは損をする生き方を貫き通された」
「主は『自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』(44節)とも言われた。それは、『やられたらやり返す、は当たり前』という考えを捨てよ、ということでもある。主は新しい生き方、平和の道へと私たちを押し出している」と語りかけ、最後に「聖フランチェスコの平和の祈り」を朗読して結んだ。

平和祈念礼拝の模様は、URL https://www.youtube.com/watch?v=KRK9b4uMLps&t=2427sで視聴できる。