異端・カルト特集【保存版】惑わされないために 知っておきたい聖書の教え
《実践できる予防対策》
「キリスト教」を名乗る異端・カルトは、聖書のことばを使って伝道する。脱会者の話を聞くと、「聖書を読むのは初めてだったので、それが聖書の教えだと思ってしまった」という証言をよく耳にする。中にはクリスチャンであっても、ときには牧師でも、聖書を使った巧妙な心理操作によって引き込まれてしまうケースさえある。
今特集では、社会や教会に大きな影響を与えているいくつかの異端・カルト組織が、聖書をゆがめてどのように偽りの教義に誘導するのか、また、そんな惑わしに翻弄されないために、私たちは聖書から何を知っておくべきなのか――実践的な予防対策を一挙掲載する。(根田祥一)
「イエスは霊者の長子であり神ではない」という偽りに対して
エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)の教えでよく知られているのは輸血拒否、武道や誕生日の禁止など。それぞれ聖書の特定箇所を持ち出して主張するが、それに対して別の聖書箇所から反論しても水掛け論で、果てしない論争になってしまう。キリスト教として譲れない、信仰の根幹に関わる教えの矛盾に絞ることが肝要だ。
それは「神はエホバおひとりであり、イエスは霊者の長子(初子)だが神ではない」という教えだ。ものみの塔ではコロサイ人への手紙1章15節「御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方(ものみの塔の聖書『新世界訳』では「全被造物の初子」)です」などが引用される。この聖句の解釈をめぐって論じても平行線になる。
エホバの証人の教えに惑わされている人は、ものみの塔の統治体が聖書の唯一の正しい解釈者であると教えられているので、いくら正統的な解釈を示しても耳を貸そうとはしない。むしろ有効なのは、こちらから聖書について質問して、自分で考えるように促すことだ。エホバの証人と話すと、次々と聖書を引用して説明するので、クリスチャンより聖書に詳しいと思いがちだが、それはものみの塔の教理をたたき込むために必要な聖書箇所を暗記するよう訓練されているだけで、聖書の全体像を理解しているわけではない。
聖書を自分の目で読み、自分の頭で考えられる機会を設けることがカギだ。次の箇所を読めば、イエスが神であることは否定し得ない。
●ヨハネの黙示録5章8〜13節=…長老たちは子羊の前にひれ伏した。…彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と勢いと誉れを受けるにふさわしい方です。」また私は、天と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」→屠られた子羊であるイエスは、御座に着いておられる方(神)と同等に賛美と礼拝を受けている。
●ヘブル人への手紙1章6節=この長子をこの世界に送られたとき、神はこう言われました。「神のすべての御使いよ、彼にひれ伏せ。」→ヘブル書1章全体が、「神の本質の完全な現れ」であるイエスが御使い(霊者)と違い礼拝を受けるべき方であると、神性を力説している。
「救われたら悔い改める必要はない」という偽りに対して
「あなたは救われていますか?」とクリスチャンを伝道するのが、韓国で「救援派(クオンパ)」と言われている異端の手口だ、、、、、
(2024年08月04日号 04面掲載記事)