愛知県名古屋市の中心部、熱田神宮の杜(もり)の裏手で、100年のプロジェクトに臨む教会がある。9月22日号で〝タイムカプセル〟発見の報を紹介した、熱田教会だ。

この教会のルーツは、それぞれ違う宣教団体が始めた二か所の伝道困難地(東本願寺別院の門前町と、熱田神宮の門前町)での伝道を、アメリカのメソジスト・プロテスタント教会が1905年に引き継いだことにある。この二か所での伝道を担ったのが「名古屋第三美普教会」と「熱田美普教会」である。「美普」はメソジスト・プロテスタントのこと。

30年に、この二教会は合同し、やはり宣教師が始めた堅磐信誠(かきわしんせい)幼稚園のある現在の場所に献堂した。会衆席は北向き、講壇は南向きだったため、設計者でもあるオービー宣教師は狙ってか狙わずか、熱田神宮の方を向いて説教していたことになる。

45年の空襲では焼夷弾が直撃。牧師一家が隣家の物置小屋の消火をしていた時、娘の草履の緒が切れ、教会の上草履を借りに会堂に入った。その時、床下で燃えている焼夷弾を見つけ、牧師である父親の指示で床下に水を注ぎ、消し止めることができた、「奇跡の会堂」である。

そんな旧会堂も、実に94年間の使用をへて今年夏に解体。創立120周年の事業として、新会堂建築計画が進む。牧師の小林光さんの、「主に与えられた会堂を、主にお返しした」という表現が印象的だ。現在は幼稚園の園舎で礼拝を守っている。旧会堂跡地では、焼夷弾の残骸の届け出と撤去、埋蔵文化財の発掘調査が終わり、いよいよ建築へと動き出した。


1930年から2024年まで使った旧会堂

旧会堂の講壇の前には、伝統的な「恵の座」があった。昔はここにひざまずいて聖餐にあずかっていたが、会衆席に配餐する方式になり、「恵の座」は使われなくなった。これを、新会堂でも伝統を守るため設置するか、設置せずスペースを有効に使うか、議論が交わされたという。結局は、「恵の座」も、講壇周辺の段差もない、フラットな床面に。「恵の座」は会堂後方に移設してバルコニーとし、教会のルーツを証言するものとして残すことになった。ほかに、講壇、聖書を置く台、会衆席などの木製品とステンドグラスも新会堂に持ち込む。今まで大事にしてきたものを生かすことにこだわった。


旧会堂の講壇と「恵の座」


新会堂の完成イメージ図より。「恵の座」は移設して残すことに。

記者が訪ねた日の礼拝後に行われた、建設会社による説明会では、新会堂の使い勝手について、自分以外の人の利便性に配慮した質問が多く上がっていた。いつも心に刻んでいる三本柱として、①争わない、②無理をしない、③弱い人のことをいつも考える、があり、③は「無理をさせない」でもあるそうだ。


新会堂の説明会で

2013年に発足した「新会堂建築委員会」委員長の石井尚さんは「次に建て替えるのは100年後」と語る。旧会堂がそうであったように、新会堂も100年後までもつものを、という願いだ。

「私たちの願いは、次の世代にバトンタッチすること。古い会堂をバトンタッチしても、いずれ直さなければいけなくなる。だから新会堂を次の世代にお渡しする。頼んだよ、と。そういう意味でも、幼稚園と教会学校はますます大事ですね」

幼稚園と教会学校は 地域と結びつく架け橋

教会学校と同じ時間に、並行して成人科が行われている。教会学校を卒業した成人、教会学校に通っている子どもの親がおもな対象だが、子どもが自立した後も出席し続ける人もおり、幅広い年代層が集う。子育て中の親にとっては息抜きのひとときであり、特に子どもが小さい親にとっては、子どもを預けて安心して待つことができる時間だ。ときにはコーヒーとお菓子を囲み、安心して悩みを打ち明けられる場になっているという。

コンセプトは「ファミリーを通しての教会学校、ファミリーを通しての伝道」。家族を丸ごと抱き込むことをポリシーにしている。ファミリーキャンプやファミリー遠足などの行事ももちろん「家族で来てください」と案内する。

成人科の担当でもある石井さんは話す。「今、教会学校では送り出す親の側の問題が一番大きいんです。だから、『安心して送り出せる』と思っていただいたら、子どもを送ってくれるんです。いかに親を抱き込むかが勝負。そういう意味では、幼稚園があるのは本当にありがたいこと。この幼稚園で三年過ごすわけですから。幼稚園と教会学校は、地域と結びつく架け橋。それがあったからこそ続いてきた。卒園児がクリスチャンにならなかったとしても、親からの理解があるのは、とても大きいことですよ」

記者が訪ねた日、教会学校で開かれた聖書箇所はマタイ16章13〜20節。神社や寺院のお膝元、まさに〝ピリポ・カイサリア〟のこの地で、大きな迫害もなく地域と結びついた教会の営みがあった。幼稚園を通して地元に根ざし、幼稚園に守られた、とも確かに言えるのだという。


小林牧師

小林牧師は、「教会の本質は建物のことではなく、イエスを主と告白する人の集まり」と子どもたちに語った。この子どもたちこそ、新会堂のバトンを受け取り、熱田教会になっていくのだろう。

さて、旧会堂から発掘されたタイムカプセルには、建築当時の文語訳聖書と貨幣、史料が収められていた。新会堂にも、現在の新共同訳聖書と貨幣、史料を収めたタイムカプセルを埋設するそうだ。それを開封するのは、今、教会学校に通っている子どもたちの、更に子孫たち。継承の働きは、教会学校に託されている。

【間島献一】

2024年12月08日号 01面08面掲載記事)