N・T・ライトとは誰か 1 中澤啓介

「創造・新創造」に基づく新しい福音理解を提示

 英国の聖書学者N・T・ライトが注目されている。その福音理解の新鮮な視点が高く評価される半面、伝統的な義認論・贖罪論を脅かす との批判も根強い。ライトはどんな人物で、何を主張しているのか。また、彼に対する賛否の議論はどのようなものなのか。欧米の福音主義神学の動向などに詳 しい中澤啓介氏に解説していただく。
 ニコラス・トーマス・ライト(通称N・T・ライト、あるいはトム・ライト、以下ライトと略す)はアングリカン(イギリス国教会、以下「国教会」と 略す)の元主教で、正統的・福音的信仰に立ちながらも、新鮮な聖書解釈を展開し、従来のキリスト教信仰を一味違う切り口で解き明かし、今世界で話題になっ ている新約学者です。教会の最先端で牧会者として活躍しつつ、アカデミズムの世界においても古代ユダヤ教や新約聖書の分野で画期的な研究成果を次々と発表 しています。
しかも、抜群のユーモアのセンス、誰にでも親しみを感じさせるオープンな態度、時代思潮に鋭く切り込む大胆な発想、幅広い教養がにじみ出てくる表現力な どの優れたコミュニケーション能力を通して、一般社会にも強力なインパクトを与え続けています。まさに「今が旬の人」、という感があります。
日本でもこの5月、『クリスチャンであるとは』という書物があめんどう社から翻訳・出版されました。売れ行きも順調のようです。ライトファンの方々は、 2015年を「ライト元年」にしようと張り切っています。引き続きライトの数冊の書物が翻訳、出版される予定と聞いています。
この書物が出版されるにあたり、出版元からの依頼で次のような文章を書きました。「N・T・ライトは3つの顔をもっている。まず1世紀の歴史研究家で、歴史・宗教・聖書学の学界に新しい驚くべき成果を発表し続けている。2つ目は英国国教会の主教で、世界のキリスト教界に
『創造・新創造』に基づく新しい福音理解を流布し続けている。3つ目はポストモダンの時代思潮に鋭敏な著述家で、一般社会にキリスト教信仰の絶対性と真理 性を挑発し続けている。今や世界の思想界は、ライトをバイパスして『世界・人生・信仰』を論じることはできない状況になってきている。」
なぜ、今ライトか
今なぜ、ライトなのでしょうか。理由は明白です。メインラインあるいは福音派を問わず、現在世界で最も注目されている神学者は、イギリスの聖書学者ライトを除いてほかにはいないからです。
カトリックの世界では、第二バチカン公会議時代に活躍したハンス・キュンク、カール・ラーナー、ハンス・ウルス・フォン・バルタザールのような偉大な神 学者たちは、もはや過去の人となりました。前ローマ教皇ベネディクト16世(本名、ヨーゼフ・アロイス・ラツィンガー、在位期間は05年4月19日〜13 年2月28日)も、実は極めて興味深い保守的神学者でしたが、生前退位後名誉教皇となってからは大きな影響を与えるほどにはなっていません。現在のカト リック教会は、第二バチカン公会議(1962年~65年)の路線を継承・実践していく中で、長年のカトリックの負の遺産を精算することに主力が注がれ、神 学的に注目されるようなことはほとんど聞こえてきません。
ドイツ語圏のプロテスタント・メインラインにおいては、バルトやブルトマン以降、ヴォルフハルト・パネンベルク(2014年没)やユルゲン・モルトマン (現在90歳)が大きな影響を与えてきましたが、彼らは既に過去の人になりつつあります。彼ら以降は、世界的に話題になるような神学者は出ていません。
英語圏においては、注目されている聖書学者・神学者がいないわけではありませんが、メインラインの教会の神学界をも含め、特別際立って話題に上っている 神学者は出ていないように思います。むしろ、イギリスを中心にして、リチャード・ドーキンスたちのような無神論者がキリスト教界に果敢に論争を挑み続けて いるのが目立ちます。彼らは、「06年を無神論元年にしよう」とキャンペーンをはり、キリスト教信仰にまつわるさまざまな問題について発言しています。し かし、こういうネガティブな運動は一時的に盛り上がっても、「だから何なの」という根本的な問題が浮上し、線香花火的な話題提供で終わってしまうでしょ う。
反対に、若い福音主義者の間では、「ポスト福音派」の神学とあり方を巡って活発な討論が展開され、国教会の中に福音的信仰を復権させる動きが見られます。(大野キリスト教会宣教牧師)

N・T・ライトとは誰か 》2  ポスト・モダン社会に「聖書的な福音」を発信